
■ 2004/10/01 (Fri) そんな家族構成って・・
黒人の小柄でちょいわがままでドラッグ歴のあるおばちゃん。47歳。ホームレスという情報があるが、一応親の家とかはあるみたい。車に寝泊りしていて意識がないのを発見されて運ばれたというヒストリー。
ICUでは挿菅されていたようだけど、すっかり調子は良好。今日退院となった。
が、このおばちゃん、47歳にしてすでに「ひ孫」を持つ。
聞いてみると、自分が13歳の時に長男を出産。
その長男は17歳で子供ができ、その子供(現17歳)がまた子供ができたそうな・・・。
13歳で子供をもつって可能なの〜〜??とか思っちゃった。すごい。そして誰が育てたの?と聞くとMy MOMと。そうよねー、13歳では育てられないよねー。
で、だから息子と私は兄弟みたいだったよ・・と。
それでいいかい????
ま、いいけど・・・。
で、その息子はというとこれまたドラッグで今刑務所にいるらしい。
なんだかな〜。こんな家族もいるんだな〜・・・・。
■ 2004/10/02 (Sat) 人間関係 VS やりたいこと
Wound Unitに移るぞーと決めてから、マネージャーに話し、WoundのユニットマネージャーがOKで空きがあれば移っていいわよ・・と了解を得てからはや1ヶ月以上。
Woundユニットのマネージャーがバケーションで続いて私がバケーションだった。
そして、なんだかWoundのマネージャーのところに話をしに行く士気を今失いかけている。
やっぱ物事は勢いが必要だね・・・。
ま、その大きな要因としては、自分が離れる宣言をわりと近しい人たちにしていると、けっこう(うそだとしても本音だとしても)惜しがってくれることがある。そういう環境もあり、私にとっては忙しくてCRAZYな患者も多いユニットながらもなんだか快適に感じるこの空間を離れるのは寂しいな〜なんて思ったりしてしまう今日このごろ。
仲良しナースもいる。シニアとヤングで今けっこうバランスのいい人間関係ができているような感じがしてならない。(←念の為言っておくと、私はヤングの方に入ってるつもりで書いています。)
1年以上一応ベースと呼ばれるMed/Surgで経験したわけだし、このあたりでもう一歩専門的な自分のやりたい分野に移りたいとも考える自分がいるのも本音。
人間関係 VS やりたいこと
やりたいことができるところは人間関係がいいとは限らない。もしかして今よりももっといいという可能性も秘めているが・・・。
う〜〜〜ん・・・・・(悩)
ま、もうしばらくこのままでいましょう。
■ 2004/10/04 (Mon) 体重増加
昔仲良しの友達に「こっそり小太り」といわれた過去を持つ私。顔とか手足など外に出ている部分が割りと小さいので人に「太い」とまでは言われない。小柄・中肉中背というところだと自分では思っている。高校時代に作った体で、一応ベースは筋肉質(だと自分で思っている)が、どんどん変化はし続ける。どんどん退化しつづける体。
おなか周り、あれぇ〜?こんなお肉どこから来たかな〜?太もも、あれ〜、こんなにジーンズが「ぱんっ」と張っていたかな〜・・・。
たまに、ジーンズでスタバに数時間座っていると、太ももから下が虚血になってきてしびれるのに気づく。まずいよこれ・・。・・とだんなに話す。
「俺はいつもそうやで・・」と平然とした顔で言われる。(*かなり太もものごついだんなです。)
で、どうしてるの?しんどくない?
と聞くと、「体をそらせると大丈夫」という回答。(これまた平然とした顔して)
あ〜・・だからあなたはいつも姿勢がいいのね・・・とか思う。そんな理由だったとは・・。
しかし、体をそらすと大腿動脈辺りの血行がよくなるらしく、たしかに楽になる。
(そんなんでいいのか、私達!!!)
職場でも太った・やせたの話しになった。
「働きはじめたら痩せると思ったのに全然やせない。おかしい・・・」と私が言うと、ストレスで食べてるのよ、痩せる人もいるけど、そうして太る人もいるのよ。。とかあっさり言われる。
それに働き始めて食事がじわじわアメリカンナイズされている事実、外食が増えた事実もある。
毎日職場では歩きまわっているけど、それは単なる「肉体の疲れ」であって、「運動」ではないとかいう話にもなる。
「あ〜痩せなきゃ・・・。服がきつい・・」とかため息をもらす私。
こないだユニフォームをオンラインで注文した。Sサイズを頼んだが、ユニセックスのSのため、かなりぶかぶか。私はゆったりしているのでよかった〜・・・と思ってちょっと肩の位置もずれてて借り物のようなブカブカで職場に行くと、「また太ろうと思って・・・」とからかわれる。
いや、いつ妊娠してもいいように準備してるだけです。と一応笑いをとっておいた。いつの予定だ?と聞かれ、Husbandに聞いてくれとも答えておいた。
かくゆううちの病棟は今なぜだか妊娠ラッシュ。ぱっと数えただけで8人いる。
前から子供はまだかーまだかーと聞いてくる大好き先輩ナースにこういわれた。「今妊娠したーっていってもあんまりニュースにならないから、もう少しあとのほうがいいかもね・・」「まとめてベビーシャワーとかされちゃうよん〜」とかも。
それはいやだな〜・・じゃもうちょっと先にしましょうか・・とかいう私。
ま、これだけは誰もわかりませんけどね〜。
■ 2004/10/06 (Wed) 年寄りフェチ
って書くと怪しいけど、私はかなり老人好き。
おじいちゃん・おばあちゃんを見て「可愛い」と表現するのは昔からだった。
子供も好きなんだけど、なぜだか私は小児科に興味がない。(学生時代の臨床実習のしょっぱなが小児科で、あまりいい印象がなかったのが原因と私は思っているが・・)
仕事では子供よりもむしろお年寄りを看護するのが好き。人間どこかでターニングポイントを迎え、少しずつ子供に戻る。
肉体的にも小さくなるし、メンタルな面でも考え方もスローになったり、優しくなったりわがままになったり・・。
しぐさまで子供っぽくなる人もいる。
しわくちゃの顔とか見たらつい微笑んでしまう。
くしゃくしゃな顔して一生懸命食べてたりする姿も微笑ましい限り。
もちろん、憎たらし〜いじっちゃん・ばっちゃんもいるけど、言ってしまえば弱者なので、優しくしてあげたいし、そうできるゆとりも自分にある気がする。
単独お年よりもかわいいけど、お年寄り夫婦もまたこれ「うお〜っ」と思うくらい微笑ましい場面が多い。
おじいちゃんが入院していておばあちゃんがお見舞いにきて、そのおばあちゃんがおじいちゃんの口にごはんを運ぶ姿なんて、すばらしい。
いつも聞く。「何年一緒にいるんですか?」って。たいてい50年とかそういうレベルの回答が返ってくる。
すごいね〜。
離婚の多いアメリカ。でもこういう人たちがいるのも事実。
食べ物を口に運ばれてるほうも運んでるほうも足はヨタヨタ。そんな歳まで仲良くいられる夫婦っていいね〜。
今日の受け持ち患者さんでそんなかわいいお年寄りたちがいたので、ついこんなことを書きました。
■ 2004/10/07 (Thu) 有給休暇
朝電話があり人が多いから休んでね〜という電話。ま、昨日の状況からして患者数が減ってたので想像はできたというのと、ここ数ヶ月私にこのBUDGETがまわってきてなかったので、そろそろ私かな・・くらいに思っていたのでそう驚かなかった。
一応このBUDGET制は均等にまわるようにチャージナースの所にリストがあって一番昔にBUDGETをとった人へと電話をかけることになっている(らしい)。
今日の場合私はラッキーと思った。
今日の給料は私の有給休暇の時間から支払われる。私はこないだバケーションをとったとはいえ、まだ100時間と少しの有給を持っている。
だって、まる1年でまとめた休みをとったのはこないだが初めてだし、それ以外で休んだことも1度しかないから・・。
が、このBUDGETをいやがる人も多い。いやがるだけならともかく、次の日に抗議して怒る人もいる。
・・というのも、なんらかの予定があって有給時間をためていってるのに、自分の意思に反してその時間を使わなきゃいけない!という怒り。・・また有給を減らしたくなければ単に給料がこの8時間分減るというチョイスもできるが、どっちにしてもプラスの話ではない。(どっちを選ぶかは個人の自由)
ちなみにこの有給は(いつかどこかで書いたような気もするが・・)私の病院の場合(というか私の場合)働いた時間数×0.096という計算で毎回給料支払いの度に加算されるしくみ。
もしも有給を休みとして使いたくなければ、その時間数をキャッシュバックもできるという。
つまり「有給時間」=「もろお金」・・・という考え。
ふ〜ん・・・。
当然、こっちの人はそれは自分の時間と考えてる。それを休みでとろうがお金でとろうが、それはいずれはとるべきものであるしその権利もあると思ってる。
ふと思い出した。日本で仕事やめたときのこと。
「あー、この有給全部使ったら私って最後の月、まるまる休めるんだ・・・」って。(それくらい有給がたまっていたということ)「でもまさかそんな非常識なことはできない・・・」とすぐさま思って結局使用せずそのままとなった。
なんでそんなことしたんだろう・・・・もったいない・・・。
と、今3年以上たって思う。
なんで自分の有給をとることを非常識なこととそのとき考えたんだろう・・・。今ではそんなこと思えない。当然の権利と考えるだろう。
強くなったな・・私。ま、でも当時の仕事の状況も状況だったしね・・・。(病院勤務じゃなくって学校勤務だった)
しかし当時の私は有給は仕事にでていけないくらいの高熱がでたときか、どうしてもの用事があるときにしか使っちゃいけないくらいに思っていた。
まじめに生きてたよな〜・・・と思う。(今もだけど)
もし今私がこんな考えのままで日本に帰ったらいろんなところでいやがられるようになるのかな〜・・・。
「アメリカではぁ〜こういうときぃ〜〜」とか何とか粋がっていっちゃてる自分を周りがブーイングしている場面なんかを想像している私です。
■ 2004/10/08 (Fri) 患者さんが亡くなった日
昨日休みで明日も休み。今日はその休みの中日。今日も休みにしてくれよ〜〜・・とか思い朝ぐずぐず言いながら家を出た。
ま、一日だけ乗り切れば休み休み・・と思ってちょっと楽勝な気持ちでいた。
が、かなりヘビーな1日だった。忙しい患者さんが多い中、うち1人のおばあさんが亡くなった。
久々に患者さんを看取った。夜勤から送られたときは尿量減少・血圧低下で、まーそんなに長くないかな・・と思いながらも、けっこうしっかり呼吸をしているおばあちゃんだったので、意外と持つかも・・と思っていた。(私の経験上、女性は最後のふんばりが長い人が多い。)
が、呼吸状況が急激に悪化し始めたのが12時過ぎ。
この病院で私のシフトで私が患者さんを看取るのはこれで4回目になる。
日本ではもっと頻繁だった。何度見たかわからないけど、そういう経験から呼吸状態を見て、(あ、まもなくだな・・)というのはわかる。(こんなことがわかってしまう仕事なんだよね、ナースって・・)
この患者さんはDNRで心配蘇生など積極的なことは何もしないという人だったので、ナースとしての責任は死を宣告すること。あとは家族・ドクター・そしてドナーセンターに電話をして書類を書き上げる。
そしてチューブ類を抜く。それだけ。
死後の処置も看護助手さんがやってくれるし、その処置自体も日本のそれに比べればなんとお粗末なこと・・。
日本の私の働いていた病院ではその場にいるスタッフがみんなエレベーターホールに勢ぞろいをしてエレベーターが完全に閉まるまで頭を下げてお見送りしていた。こっちは患者さんのご遺体はジッパーの袋に入れられ、看護助手さんがそれを怠惰な顔しながら運んでいくというありさま。
なんか私の経験した日本のそれとは違うよなー・・・・。
いまさらながら、自分が死ぬならアメリカじゃなくって日本の病院がいいな・・って思った。でも働くのはアメリカの方が合理的で好きかも・・・。
・・・つまり、働けなくなった頃に日本に帰るのがどっちもの願いがかなうってことかな・・・。??よくわかんないな〜。ま、もうちょっと老いてからにしようか、こういうこと考えるの・・。
■ 2004/10/11 (Mon) 偶然
仕事が忙しく久々30分オーバータイム。風邪気味か、喉の調子がおかしくすこーしふら〜っとする。今日は(も?)家事はお休みにして食べたいお寿司でも買いに行こう。
・・・と、あてにしていた持ち帰り専門の知る人ぞ知る、思いっきり日本人・日系人向きのおすし屋さんに行ったら閉まっていた。
がっくり・・。
でももう口がお寿司になっている。
体は疲れているのに、なぜかむしょうにお寿司に執着しはじめる私。
お寿司お寿司とくら〜っとする頭を抱えながら家とは反対方向に車を走らせる私。
結局日系のスーパーの惣菜コーナーのお寿司で済ませることにした。
ついでに餃子とかキムチとか買ってる私。(風邪っぽいときは味に鈍感になって妙に濃いものが食べたくなるのよね・・)
女一人、夕方の5時半ごろ、どっちゃり惣菜を買って帰る姿、あんまりいいもんじゃないね・・・なーんて自分を見て思いながら車の方に向かっていると「○○○さ〜〜〜ん!!」と私の名前がどこかから連呼されるではないか・・。
その車が近づいてきた中から総勢4名手を振ってくれている。が、(はて、誰かいな???)と最初の数十秒は相手の顔を見ながらでさえ全く相手が誰かわからず、私の後ろの誰かのことかな?とつい後ろを振り返ってしまったくらいだった。
あ〜〜〜・・・思い出した。
患者さんのご家族だ・・・。
数ヶ月前だったかな?であったのは・・・。
うちの病院で日本語をメインで話す日本人の患者さんに出会ったケースは数例しかないので、その患者さんたちのことはよーく覚えている。そのうちの一人だった。
でも患者さんはいない。
2週間ほど前、うちのフロアに一旦入院していることは知っていた。でもすぐにICUに行ってしまってその後の消息は全く知らなかった。
「あれー退院されたんですか?」と聞いてしまった。
「いや、1週間前に亡くなったんです・・・。いろーんなことがつい昨日に終わったところです。」と言われた。
そっか・・・・。
いろいろそこまでの事情など成り行きを聞いていた。
彼女たちはまさかその病院に日本のナースがいるとは知らず、いろんな意味で助かったと私の存在をかなり感謝してくれた。(ほんとにそんなに何もしてないんですけど・・。ただ医療システムや制度の違いなど簡単な質問に答えただけだったんだけど・・)
それで、患者さんの姪っ子さんにあたる人が「きっとおばがこうしてありがとうというチャンスをくれるように、ここであわせてくれたんだよ。」と言った。
そうかも・・・。
だって、すごい偶然過ぎる。
大体この時間、このスーパーに来ることはあまりない。しかもナースの格好(スクラブ)のまま来ることもあまりない。(普通の服だと相手もきっと気づかなかっただろう)最初のすし屋が空いてたらここには来ていない。オーバータイムするくらい忙しいのも久々・・・。
ここにこの時間自分がいる・・という状況だけでも珍しい状況なのに、そこに違うCityからわざわざ買い物に来た彼女たちに出くわすなんてもっとありえない状況。
きっとそのおばさん(患者さん)があわせてくれたのかもね・・。
患者さんはつらいときでも笑顔の温かーい人だったので、きっと亡くなった今はもっとしんどいことから解放されてもっと笑顔でいるんじゃないかな・・・。
この偶然に手をあわせたいと思います。
■ 2004/10/13 (Wed) しびれるアメ玉
のど痛、体がだるい、関節痛・・これはまたしても今年5月にかかったあのSTREP THROATの最初の症状と同じ。
無理して仕事行ってまたまた高熱とかになるのはいやだから、ちょっとがんばれば大丈夫かな〜という体調ではあったけど大事をとって火曜日仕事を休ませてもらった。
水曜、今日はもともと休みの日。
この2日、おとなしくしてたからもう大丈夫。
基本的にアセトアミノフェン1000mg配合の薬(お湯に溶かして飲む薬)を服用。が、私ってアセトアミノフェン系、あまり効かないみたい。っつうか、効いてるかもしれないけど、即効性を感じないのよねー・・。(生理痛の時もタイレノールってあんま効かないし・・・やっぱ私は日本のお薬ロキソニン好き。)
あとは友達にもらったユンケル。細いストローで飲むとなんだかとても高価なものを飲んでいる気がして、それで効いた気がする私。
あとは喉の痛みに何かいいのはないかと薬局で探した薬。Cepacol Sore Throatというドロップ。あー、これ患者さんが使ってたわ・・と外見は見たことあった。が、自分が使用するのは初めて。
薬の説明を読む。Oral Anestheticと書いてある。そうか、麻酔の働きを利用して、痛みを一時的に軽くするのか・・・と理解。
なめてみる。
いきなり舌がしびれだす。
そんなあほな・・・。
かなりこの効果にウケル私。一人で笑ってた。
アメリカの薬って怖いわ〜。
日本ののど飴でこんなのないよね〜・・・。
効果のほどですが、このあとパンダエクスプレスを食べましたが、あんな濃い味の中華に味を感じることができず、醤油をぶっかけてしまいました。
なんか私の思ってた効果とは違う効果がすごく発揮されているようで・・・。あ、でも喉の痛み、かなりいいです。(これのおかげとは到底思えないが・・・)
■ 2004/10/17 (Sun) 壊れちゃった?
懲りずにビザスクリーンの試験IELTSを昨日、土曜日受けてきた。すでに4回受験し、今回が5回目の挑戦。一体こんな回数受けてる人はいるんだろうか・・・。恥ずかしいとさえ感じる回数。。。
テスト会場には「慣れ」ることはできても、試験はやっぱりいやなもんで、各回緊張する。今回待ち時間が長かった〜。午前中のリスニング・リーディング・ライティングが12時に終わり、自分のスピーキングの時間が16:20。友達がいて、ランチなど一緒にして2時間くらい一緒につぶしてもらったが、それでも変に緊張の糸が切れない時間でめっちゃ長く感じた。
そしてこの試験、人生かかってるっつうか、こっちに今後残れるかどうかがかかってるわけで、このストレスは表現しようのないもの。。
この試験は3ヶ月に一度受験ができるんだけど、前回から今回にかけてのこのインターバルは今まででいっちばんきつかった。精神的にしんどかった。っていうのも、移民局の法律が変わったり、知り合いがビザスクリーンが整わなかったという状況で帰国となったりと、自分に関連する周囲の状況が刻々と悪い方へとこの期間に変化していったから。
毎日勉強しようがしよまいが、「試験の勉強やらなきゃ・・」という気もちに追われる。
うそみたいかもしれないけど、仕事が終わって駐車場へ戻ってきて運転席に座ったとたん、「あー、仕事終わっちゃった・・。これから勉強か・・」とブルーになる。決して仕事が楽なわけじゃないけど、ここんとこんな状況の私にとってはこの試験のことを考えるほうが仕事よりもずっとずっと精神的にきつかったんだと思う。
前向きに、前向きに・・がんばるしかない・・やればきっとできるさ・・後悔のないようにがんばろう・・などなど、どれほど前向きな言葉を自分にかけ続けただろう・・・。
まー、そんな状況があり、試験のできはともあれ、「試験が終わった」という事実にほっとした。そして結果を待つ期間(約2週間ほど)はとりあえず「勉強しない!」「勉強のことを考えない!」と決めた。
そう決めたとたん、ほんとうにほっとしたんだと思う。土曜の夜の私はばかみたいにハイテンションだった。
焼肉を食べに行ってすこーしアルコールも入ったせいか、しゃべりまくり人生花盛り。自分じゃ対応しきれないと感じたのか「発散しにカラオケ行く?」とだんなから珍しいオファー。で、久々2人きりでカラオケに行くことに。。。
なんだか歌いながら詩に感動し、涙がでてきて一人最後のほう声が上ずって歌えなくなったりしていた。
だんなは「レコ大受賞したみたいやなー」と冷静に一言。
そんな言葉にこんな言葉、だんなのくだらないおやじギャグにまでも大爆笑してしまう私。
泣いたり笑ったり・・・完全に感情失禁状態。
完全に私の中の何かが壊れた夜だった。
その後、久々日本のレンタルビデオやに行って、日本のビデオを借りてきた。試験勉強しなきゃいけない・・と思ってるときは、こういう行為も罪悪感を感じていたので、こうして思いっきり日本のテレビをみまくるぞーって思える今はとても気持ちがいい。
感情失禁はさすがに一晩あけたらおさまったが、結果が来るまでの2週間は勉強のことは忘れて、気楽に過ごそうと思っている。
■ 2004/10/18 (Mon) 上沼恵美子 VS ぺ・ヨンジュン
タイトルどおり、借りてきたビデオは上沼恵美子のなんか特番と「冬のソナタ 第一巻」。
いやー、上沼さん、おもしろすぎる。久々の日本のビデオで、これ借りてる自分らって根っからの大阪人やなーと思ったけど、悪いけどほんま面白い。
対して冬のソナタ。別に興味があったわけじゃない。ヨンさまだか、何様だか知らない。ま、何見る?・・という話しになったとき、とりあえず日本で話題になってるみたいやし、見てみる??という気分で第一巻(3話分)を借りてきた。
退屈な第一話・第二話。。。(ファンの人がいたらごめんなさい)
なんてつまらない、なんて安っぽい設定・・・。あまりにもわかりやすすぎる展開にあきれて笑える。
「上沼恵美子のほうが断然おもしろいなー」とうちは夫婦してヨンさまでなく上沼さんに軍パイがあがった。
が、3話目の終わりあたりから若干、あれ?この話しこれからどうなるの??という興味がでてきた。
そして一応、今後も続きを借りて見ていく予定であります。
ちなみに・・・・
「ペ・ヨンジュン知ってる?その人のドラマ借りてきて昨日の晩見てたんだー」と、うちの職場の韓国人の友達に話した。じゃあ、「彼は今LAに来てるよ。うちの母親昨日会ったって。サインもらってきてたよ。」とあっさり。
え?え、どういうこと?そんなあなたのおかあさんは何者?
・・・と、話しを聞いていくと、どうやらお母さんの親しい友達の子供さんとヨンさまの元ルームメイトだか仲良しの友達が共通の人で、その人の結婚式の会場で会ったとか・・。ヨンさまには二人のボディーカードがついていたらしい。
日本のドラマに出て、韓国ではもらえないようなギャラもらってめちゃめちゃ彼は儲けてるとか、日本人ってブームにとびつくねーとかそんな話しもしていた。
明日、そのサイン持ってくるよ。コピーしたらいいよ・・とか言われた。
でも別に私そんなファンじゃないんですけどね・・・。
今頃ヨン様、LAのKorean Townのどこかで飲んでたりするんですかね〜・・。
■ 2004/10/19 (Tue) なんだか恐ろしい患者さん裏話
昨日受け持ったヘビーな患者さんがいた。女性45歳。青い目をしたきれいな白人女性。
ずっと健康だったのに、いきなり首に腫瘍ができて、それが悪性だと判明。2週間ほど前に違う病院で手術したみたいだけど、これが見るのもかわいそうなほど、首の部分が腫れている。再建術で、ごっそり右の頬からあご・首にかけて腫瘍をとったようす。皮膚は右下腿の皮膚からの皮弁。その縫い目からポタポタと浸出液が漏れ出てきて、口の中からもその液がでてくる。口の中も腫れてるから食べることもできない。そして気道が圧迫されていたんだろう気管切開でその口を閉じないと声がでない。なので筆談となる。頭はクリア。感情もクリア。
なんとも、それだけで十分可哀想と思ってしまい、同じ女性として見ているだけでいたたましい気持ちになる。
状況としては一旦オペを受けた病院を退院したが、突然の腹痛でうちの病院のERにきて、それでうちのフロアに移ってきた。が、当然オペをしたドクターがフォローすべきだろうという判断で元の病院への転院が決まった。
ベストフレンドという女友達が来ていた。彼女はいきなり私につめかかるように彼女の状態を聞いてきた。
ま、よっぽど仲良しでいろいろ思ってあげているのだろうと思った。でもあんまり好きなタイプではないな・・というのが私の本音の第一印象。
患者さんのだんなさんもあとで来た。体格がよくて、声もでかく愛想もいい。ここ数ヶ月でこんなに変わり果てた姿になった自分の奥さんを彼はどう見てるのだろう・・とか思わず考えた。でも彼はとても優しそうで頼りがいのあるだんなさんに見えた。それが私の彼への第一印象。
昨日オーバータイムもしたこともあって彼らとかなり密に過ごした。
あるとき私の第一印象にかげりがさした。
なんか怪しい・・・・。
何の根拠も裏づけもないけど、だんなさんの優しさがなんだか「偽善」に見える一瞬があった。
どうしてそう思ったのかわからない。でもなんかそう思い出すと、すべてそう見え始めた。
「いいだんなを装っている・・・・」なんか寒いけど、ぞっとするけどそんな感じ・・・。
そして患者さんは私のシフトが終わる頃、もとの病院へと移送されていった。
今朝、昨日その患者さんに一緒に関わったケースマネージャー(男性)と話しをしていた。すばらしく人間のできてるケースマネージャーで誰からも信頼がある。彼は私のスローな英語もいつも一生懸命聞いてくれるので、なんだかいろいろ話しやすい。そしてなぜか私が昨日その患者さんのだんなさんに感じた「偽善」の話しをしはじめてしまった。
私のゲスはどうやら的中のようだった。
患者さんのベストフレンドという見舞いに来ていた彼女とそのだんなはできているという話しだった。
他にも彼女に関わったスタッフ・ドクターと彼女の話になった。ドクターは彼女の予後はよくないだろう。きっとすぐ亡くなっちゃうよ。と言ってた。
ケースマネジャーは、彼女が死ぬのを待ってる人がすごく身近にいるかもね・・といった。
背中がすーっと寒くなった。
■ 2004/10/20 (Wed) 5歳児の悩み
私の溺愛する5歳のおいっこから電話があった。
ハロウィンのポストカードとシールを送ってあげたのが着いたという電話だった。
もういろいろお話しができる。幼稚園の話しなどしてくれる。運動会では走りが一等賞だったということだ。
今、4人の女の子から好きとか結婚してと言われているらしい。「どうすんの?」って聞くと
「うーん、まだ誰が一番いいか決められへんねん・・」と言っていた。(←天然の大阪弁)
かわいい。
ひじょ〜にかわいい。
モテモテ人生。人生のそんな前半で一生分の"モテモテ"を使い切ってしまってはいないか若干心配なおばであった。
■ 2004/10/22 (Fri) あかすり
仕事の後、あかすり&サウナに行った。至極の時間だ。
先月見つけたその施設。中はまるで日本のお風呂屋さん。でもって女性ONLY。
オーナー(?いつもいるおばちゃん)は在日韓国人。なので日本語・韓国語どっちもぺらぺら。で、日本と韓国どっちもとりいれた施設にしてる感じ。お客さんは韓国人が圧倒的多数。
今日してくれたあかすりのお姉ちゃん。体格がとてもいい。足は仕事の後でもありだるだるなので、足のマッサージはめちゃ気持ちいいが、上半身(特に表側)をそれと同様の力を込めてされるとかなり痛い。勢いも力もそりゃすごくて腕とか抜けるかと思った。
いつも一応きれいにしてるつもりでも、あかすりされると必ず大量にでる「垢」。不思議だわー、ぽろぽろ落ちる垢をみながら、私こんなの体につけてるんだー・・・とか思う。
終わったら体つるつる。気持ちいい。
しかし、こないだも思ったけど、このスタッフの人たち、しゃべると一同キムチの口臭。
キムチガムでも存在するんだろうか・・・。
■ 2004/10/24 (Sun) 不思議な気持ち
昨日土曜日、夜外出から帰ってきてポストをのぞくと9月に受けたTSEの結果が入っていた。
おー、そうか、もうあれから5週間たったんだ。。。(TSEは結果が来るまでいつも5週間かかる)全く予期してなかった。・・・というのも、ここのところは先週受けたIELTSに自分のフォーカスが当たっていてTSEは自分にとって消化試合のような存在。ただチャンスのある限り受け続ける、がんばる、それだけ思って各回受験してきた。
しかしそこに期待などもう・・・。ここまで何度期待を裏切られてきたかを考えたらそうも思ってしまうだろう。どんだけがんばってもこのテストは「45」どまり。
わたしの次のフォーカスは来週来るであろうIELTSの結果。これではない。そう思いながらなんの期待もせずに開いた。
「50」
だんなに確認してもらう。
やっぱり「50」と書かれているようだ。
まさか・・・。
これでパスしたってこと?これで試験勉強から解放されるってこと?ほんとにこれでいいの?
うれしいよりも驚きのほうが強い。
ちょっと頭の整理をしよう。何点がRequirementだったっけ?もう一度ウェブでチェックしたりする。
どうやらパスしたようだ。
TOEFLの点数も確認する。トータルとライティングがパスしたのは2003年2月。TOEFLの有効期限は2年間。どうやら間に合ったようだ。
どうやらビザスクリーンの点数がすべて揃ったようだ。
これでグリーンカード取得まで一気に近づいたってことか。
もうあとは何ヶ月・何年かかってもいい。日本とアメリカを不自由なく行き来でき、仕事が続けられる環境であれば全く問題ない。それに何より、この精神的に追い詰められて崖っぷちに立たされていた苦しい苦しい試験勉強から解放される。
今、まだわたしのかばんの中にはスピーキング勉強用の問題カードが入っている。
これ、もう持ち歩かなくっていいんだ・・・と思うととても不思議な気持ちになる。
本当かな?
一晩明けた今、日曜の昼前、もう一度確認する。「50」という点数はそのままだった。なんか実感がないけど、これからもっとうれしい実感が沸いてくるのかな?
待ちに待った試験から解放される日。この日は絶対泣き狂うだろうと思ってたけど、意外と今はまだそんな気分じゃない。むしろ、ほんと?ほんと?という驚きと不思議な気持ちがまざっている。そんなものなのかな。それとも事態が大きすぎて理解に時間がかかるのかな。。
■ 2004/10/26 (Tue) 結局は運か?
いろんな人におめでとうと言われながら徐々に実感も増し、ここまでの長かった道のりを考えては感慨にふける日々。
こないだのIELTSは今回パスしたTSEなんかよりもうんと自分の中でしゃべった感じがしていた。それに大体IELTSのプライベートレッスンを受けに行ったりと、IELTSの方にうんと力をいれて勉強していた。あちゃ、両方受かってしまったりして・・と調子にのった自分も心の中に存在した。
が、結果が今日来たが懲りずにスピーキングは「6」だった。(パスするには7必要)
いろいろ同じ言葉を繰り返し使わないようにできるだけボキャブラリーがあるところを見せられるように言葉を選んで使ったし、単文を接続詞でつなげるばかりでなく、complex sentenceを作るように心がけたりで、それもそれなりに過去の「6」のインタビューの時よりは「いけた」と心では思っていたのに・・・。
本当にTSEが受かっててよかった。今回、もしこのTSEの結果がなくIELTSのだめだった結果のみを受け取っていたら、ほんとーにまたしても落ち込んでいただろう。
どっちもうまくいけたら実力ついてきたのかな?とも思えるが、こんな結果ではやっぱ「運」だったのかな・・と考えてしまう。
比較的できたと思って受からない試験。まー無理よ・・と思って受かる試験。
ほんとーにスピーキングの試験は水ものだ!!!
採点基準がわからなすぎる!!
普通に日本で育ってきて普通に教育を受けてきたわたしら世代の日本人にとってはやっぱスピーキングは大変な試験に間違いはないと思う。
ここまでTSE 11回、IELTS 5回の受験なり。。。(かる〜く20万円を超える受験料・・・聞きたくないっ!)
こんなわたしの経験から言えるのは、だめでも運をつかむまでねばることなのか・・・。がんばった量に比例しないのが納得いかないところだが。。。
■ 2004/10/27 (Wed) 無料 FLU SHOT
今アメリカではインフルエンザワクチンが不足している。受けたいのに受けられないということも多々あるとニュースでやっている。そしてハイリスクの人、例えば65歳以上だとか、心臓病・腎臓病などなどがある人たちが優先して受けられるようにと(政府かな?が)働きかけている。
医療従事者、特に患者さんに直接接する機会の多いナースも、ハイリスクに指定されている。で、前にまわった院内の案内では「これからFLUのシーズンです。患者さんに接するチャンスの多い人たちワクチンを受けてください。特にうちの病院で職員にこれをサービスすることはありません。個人でクリニックへ行ってください。」というような内容だった。
が、なんだか今日同僚に「無料で予防接種受けられるんだって。はやいもの順らしいよ。行こ行こ。」と誘われた。
そして職員健康管理センターへ行った。無料でワクチンを受けられた。
あまりにも簡単に受けられたので、これはワクチンのふりして実は生理食塩水だったんじゃないか・・・という話しになった。
ま、それでもいいか。きっとわたしは「ワクチンを受けた」というだけで安心するプラシーボ効果が発揮されるようなタイプの人間だろう・・・。
■ 2004/10/28 (Thu) いつ死んだの・・・?
朝仕事に行くと、昨日あったコードブルーの話しを数人がしている。ふーん。準夜勤のはじめだったらしく、へー、準夜さん大変だったんだーとか思いながら自分は自分の情報シートに目を通して半分は聞いていなかった。
でも、その人たちの会話からいきなり私の名前が出て、「え、なに?」って聞くと、なんとその患者さん、昨日私が受け持っていた人じゃないの・・・。
え、ありえない。
生きてたよ。
話しもしてたよ。
食欲はなかったけど、おしっこも出てたよ。
ありえない。。。
準夜のナースが最初に部屋に入ったときにはすでに呼吸がとまってたらしい。それが16時。私が申し送りに行く前、最後に点滴の残量チェックしたのが15時。言葉はかわさなかったけど、尿道カテーテルの位置を動かすともぞもぞと動いたのは覚えてる。どんな向きでどんな格好をして寝ていたかも覚えている。
エイズの末期で全盲・難聴でコミュニケーションがとりづらかった。何か処置するときはこっちが説明したところで本人にとっては急に何かが自分に触れたと思う恐怖感からか、暴れるし大きな声をだす。
IVを入れなおすときは正直怖かった。突然大きく動いたりするし、やっぱりエイズの患者さんで暴れる可能性のある人へのIVは緊張する。患者さんの家族に押さえておいてもらいながら慎重に慎重にやったけど・・・。
(つくづくすごいリスキーな場所で働いてるよな〜〜〜・・・と思う瞬間。。)
何が死因となったんだろう。血圧だって上は120くらいあったし。状況としてはナーシングホームを探し中で、場所さえ見つかれば転院という安定した状態だった。
窒息?でも咳き込むこともなかったしな。。
別に誰も私を責めはしないけど、私から申し送られた直後に患者さんが死んでいたというのはなんか罪悪感のようなものを感じる。
まだ彼のチャートがフロアにあったので見てみた。
別に誰も過失はおかしていない。原因についてもとくに記載されていない。
昨日一緒にこの患者さんを受け持った超キャリアの長い看護助手のおばちゃんと話した。経験の長いこのおばちゃんも「びっくりしすぎるくらいびっくりしたわー」と話していた。
そして二人で「私たち悪いことしてないよねー」という話しになった。「してない。してない。」とお互い言い合う。
しかしこの患者さんは家族はいるがホームレス。家族も若干変わった人たちであった。その看護助手さんは家族が何をどうふっかけて訴えてくるかわからないわよ。とか脅してくる。
とりあえずちゃんと事実をチャートしているし、誤薬とかもないといいきれるし、そんな恐れることは何もないんだけどね。でもなんかいい気分ではないね。
スーパーバイザーのところへ行った。
あっさり、「エイズの末期だったし、もう亡くなる時期だったってことよ」と。
あること、あること、起こりえる。・・・と全くもって私の心配など相手にされず。
ま、こういうこともあるんで、やっぱチャートをきちんとすることは大事だし、突然死も起こりえるということで患者さんをきちんと観察しなきゃな〜なんて、少し気持ちが引き締まる機会になったのでした。
■ 2004/10/29 (Fri) 冬ソナ
やっと(いや、もう?)全部見終わりました。IELTSが終わった直後10/16から2週間弱。全20ストーリ、見ちゃいました。
最初は文句ばっかりいいながら、いやちょっと小ばかにしながら、(なんで日本はこれが流行ったんだ?)(ヨンさまってそんなかっこいいか?)(これみて泣いてる人ってどんな人だ?)などなど・・・・。なのに・・・
最終回で号泣してる私・・・。
ばか・・・。
いやいや、よかったですよ。これ。途中「くどい!」とか、「長い!」「ひっぱりすぎ!」とか思うことが多々あり、見ながら疲れることもあったけど、そして皆が言うようにストーリー的にシンプルだけど、「純愛物語」としてそして最後の悲しい展開はいや〜涙ですな〜〜。
あ〜やだやだ、私はこういうのにハマラナイぞーって思いながら、ちょっと距離をもちながら(どういうのに皆が興味を持ってみているのか少し観察してみよう)的にクールな気持ちで見ていたはずのに、最終回でやられちゃったな〜・・・。
ちょっとくやしかったりする。
(←なんでだ?)
■ 2004/10/31 (Sun) ハロウィ〜ン
ハッピーハロウィ〜ン・・・と職場では声を掛け合うが、いまだ何がハッピーなんだか・・・。ハロウィンパーティーをするわけでもないので、それほどやはりまだこの行事は私になじんでいないかと思われる。
今日で夏時間は終わり。1時間時計を戻すことになる。つまり、私は朝いつもより1時間ゆっくりできた。・・・とはいえ、ちょっと自信がなくって結局いつものように朝の5時半に起き、パソコンでその時間が4時半であるということを確認してからもう1時間眠りについた。
家に帰り前から準備していたグッズでパンプキンパイを作り始めた。(・・といってもパンプキンは缶のだし、簡単レシピのもの)パイ皿にパンプキンや卵・シュガー・シナモンなどをミックスしたものをのせた。いざオーブンへ・・と思ったら、温まってるはずのオーブンが温かくない。
だんなを呼び、あーでもない、こーでもないとオーブンを直そうとするが、結局故障は直らずじまい・・・。
最近使ってなかったからね・・・。
というわけで、焼く前の状態まで作ったこのできそこないのパンプキンパイ、どうすりゃいいんだ・・。
あきらめた。
夜はつい先日ビバリーヒルズにオープンした「梅の花」アメリカ一号店に行ってきた
九州が本拠地の梅の花。大阪にも多店舗ある。どんどん東へ進出しており、いまや東北方面にもあるとか・・。豆腐と湯葉のお店。私はここが大好きだった。(だんなの親とうちの親との初顔合わせもここだったな〜。)
ま、そんなこんなもあり、「行きたい」という感覚よりもどっちかっていうと「行かねば」という感覚だった。
場所も場所だし、かなりゴージャスな作りをしている。日本ちっくなのかと思いきや、あれは外国人向けをかなり意識したつくりだねー。まだオープンしたてで、配膳の段取りや料理の説明などがいまいちオーガナイズされてなかったけど、ま、それはしょうがないと目をつぶれる。
味はほぼ同じ+外国人ウケするようにアレンジされていた部分が多々あった。おいしかった。
が、厳しく言うと、いろんな意味で完成度がもう一歩かな・・・。
ある料理が出てきたとき、日本と同じだねーなんていうと、白人のウェーターくんは「日本でのこの店の歴史は長いのか?」とか「同じものを出してるのか?」とか聞いてきた。
日本の梅の花の店員さんはすごい。めちゃくちゃ教育されてるし物腰が低い。こっちの人は外国人だししょうがないか・・と思う部分はある。ま、日本のそれとはクオリティー負けしてるけど、悪い対応では全然なかったので、今後に期待というところか・・・。
しかし、日本でこの値段だったら、まー高いけどこんなもんか・・と思えるかもしれないが、こっちでは一般的に外食は日本のそれより安いからちょっと敬遠する人も多いかもな〜。(ちなみにお酒を飲まずに食べただけでチップ込みで二人で135ドルでした。あ、お茶が一人5ドルとられててそれは驚いた。おいしいお茶ではあったけど・・・。有料なら有料って教えてくれればよかったのに・・。)

