■ 2004/04/02 (Fri) よく働いた4日間
月曜からの4連勤。よく働いたわ〜。火曜はダブルを頼まれ16時間働き、もうしばらくダブルはいい・・と思ってたけど、昨日木曜もまた「やってよ、やってよ、大丈夫、若いから・・どうしても人がいないのよ〜・・・」というチャージナースのにたにたしながら若干甘え声ぎみの攻撃に負け、16時間働くことになった。
この4日、8-16-8-16と働いたわけで、これは私の記録かな・・。今日1日休みでまた土曜から4連勤。うーん・・よく働くわね〜なんて自分で感心。
ま、体は疲れてるけど、心のどこかでは
・とりあえず結果でるまでは試験勉強から解放されてるわけだし、働いてもいいか・・
・だんなも帰りが遅いし、どうせ夜家に帰ってもビデオ見るくらいだし・・(だんなは今ビジーシーズン)
・お金たくさんもらえるしこのオファーはラッキーかな・・
なーんて考えてる自分がいる。
でもやっぱり体はきついわね〜。今朝起きて、なんだか筋肉痛ようの痛みが体中に走ってるのを感じる。
職場の人は「若いんだし・・」というけど、実は今年8月がきたら33歳。心は若くても(若いつもりでも)体は20代ではないのは自分でわかる。
それに昨日の夜、鏡をみて(あれ?私、こんな目じりにしわなんてあったかな・・)とか思った。
やばい!
今日はゆっくり休みましょう。
■ 2004/04/05 (Mon) テンポのいい仕事
自分の受け持ちの患者さんで血圧が朝からずーっと低い人がいた。上が80台下が40台。夜勤ナースはすでにドクターに連絡してくれていた。それで降圧剤はストップしてというオーダーをもらってくれていた。
そうなった状況としては患者さんは高血圧の既往があって、昨日の夜血圧が190/90まであがったらしい。それでドクターから新たな血圧の薬が出され、計3種類の降圧剤を昨日の夜飲んだということ。
おばあさんだし、薬の利きが遅延してるのもあるだろうけど、測るたびに血圧が10ずつくらい下がっていった。
ドクターが来て昇圧のための点滴をBolusでとオーダーを出していったけど、それも効果なし。
結局血圧が50台まで下がり、患者さんの意識状態ももうろうとしてきた。
その後ドクターにページしてもなかなかコールバックがなかったので、ちょっといらいらしたけど、ドクターとは午前中顔あわせてこの患者さんのこと話していたので、電話をもらってからの話しは早かった。
もう一度Bolusしてそれで血圧が90より低かったら患者さんをICUへ転棟させてというオーダーだった。うちの病棟ではドーパミン使わないから。
オーダーの250CCのIV Bolusはたぶん10分くらいで終わる。で、それを待ってもきっと血圧は90以上にならないと自分の中では確信していた。ちょうどチャージナースが歩いてきたので、すぐオーダーの内容を伝え、ICUでベッドを確保してもらうようお願いした。チャージナースは早かった。すぐ連絡してくれてすぐにICUのベッドを確保できた。IV Bolusをはじめるからわらトランスファーのペーパーワークをしはじめた。その間、チャージナースが患者さんをみてくれていた。Bolusが終わっても案の定血圧は50台のままでますます意識はもうろうとしてきた。
そして患者さんの状態をICUナースに電話で報告している間に看護助手さんがすべて患者さんの持ち物をまとめ、移送の準備をしてくれていた。
電話をきったとともに、患者さんを移動をすることができ、ドクターから電話があって、ものの30分の間には患者さんはICUに行けた。
すばやく対応できたことになんだか気分のよさを感じた。
このチャージナース、いつも私ににたにたとオーバータイムをお願いしに近づいてくるベテランナースなんだけど、ほんと仕事がすばやくて尊敬する。
そして今日一緒に組んでた看護助手さん。この人もほんとに仕事が早いし、いつも助けてくれるので一緒に仕事をしていて気持ちがいい。
そして私自身も最近続けてGAやっていたおかげで、転棟患者さんのことを立て続けて見る機会があったので、その流れが自分の中でわかっていた。次はこれ、次はあれ・・と頭の中に出てきたのでそのペーパーワークごとはチャージナースや看護助手さんの足をひっぱらないスピードでできたんだと思う。何より、他の患者さんが落ちついてたからそれができたんだけど・・・。あとはこの患者さんのこと、昨日の入院からみているので、状況もつかんでいてレポートしやすかったとかそのへんもあると思う。
ばたばたした30分だったけど、テンポよく仕事をするのはとても気持ちがいい。やっぱ私はデスクワークじゃなくって、動く仕事が向いてるんだなーとつくづく自分で思った。
■ 2004/04/07 (Wed) 待つ日々
今週に入ってこないだのテストの結果がそろそろ送られてくるだろうとそわそわどきどきしている。
考えると試験の前よりも緊張している気がする。
月曜日、テストセンターに電話をしてみた。今日送ったといわれた。スコア、教えてもらえませんか?と聞いたら電話では対応できないと言われた。あーそうなんだ・・・。
ま、ここはフェアに行きましょう・・と自分をなだめる。
うちは郵便物がいつも午後2時台にやってくる。で、昨日(火曜)は絶対「今日来る」と思っていたので、4時過ぎ、仕事から帰ってきて車を降りるなり、封筒をすぐ開封できるように右手にはさみをポケットの中で握ったままポストを開けたくらいだった。でもテスト結果はポストには入ってなかった。(ちなみにこのはさみはいつも仕事で使ってるのでいつもポケットには入ってるんですよ。そんな怪しい人ではありません)
そして今日水曜日。絶対間違いなく100%今日来る。と改めて確信していた。
今日は休みなのに、なんだか朝から落ち着かない。そわそわどきどき・・・。
いけてたら天国、だめなら地獄・・・そんな考えばかりが頭の中でぐるぐるぐるぐる巡る。
2時過ぎ、いつもの配達員の黒人のおじちゃんがアパートに入ってきた。白い歯を見せて「Hey, How are you?」と言ってくる。おじちゃんを見てどきどきしながら(おじちゃんにどきどきしてるのではないが)近づいていく私。
が、結局今日の郵便物にも入ってなかった。
がっくり・・・・。
なんかどっちにしても、こうしてどきどきしながら待つ時間はもう最小限にとどめたいものだ。結果次第で次の動きがとれるのに、結果が来ないからなんか何もできないまま、何もかわらないまま今日も1日が終わるような気がする。
あ〜〜〜Frustration!!!!
もしパスできてたらグリーンカード取得までぐんと近づくだけでなく、「車」「子供」「家」・・・と次の人生のステップへとコマを進められる。
が、だめなら、「試験前へ戻る」とまた仕事と試験勉強、そしてそれにまつわる多大なストレスへの日々へと逆戻りするわけだ。
まさに人生は人生ゲーム。(なんのこっちゃ!?)
あー、明日は来るのかな・・・。たった数日をひじょーに長く感じている私です。
■ 2004/04/08 (Thu) だめでした
IELTSの結果が届いた。結果からいうとだめだった。やっぱりスピーキングが足を引っ張った。
正直まだこの点数を受け入れられていない自分がいる。
心配してくれている人もこういうとき電話をかけて聞きづらいこともあるかと思うし、だめだったってことはここで早くいっておかなくちゃ・・・と書いてます。
点数をながめながら涙が止まらないこの3時間。ベストとはいえないかもしれないけど、自分のできる範囲でがんばったとはいえる。仕事の帰りにスタバにいって眠くなるまで勉強したこと、アダルトスクールで知り合った友達が毎日のようにスタディーバディーになって私の勉強につきあってくれたこと、などなど・・・考えるとなんでだめだったんだろ・・・どうして・・なんで・・・って思って、自分が情けなくってしょうがない。だめな時のことも想定して結果を待ってたつもりだったんだけどね・・・。
基本的に楽天的な人間だけど、これはただのテストじゃなくって「ビザ」のこと、しいては自分、だんなの仕事のこと、アメリカ生活存続可能かどうか・・・にまで響いてくる問題。だめならしょうがない・・・と思わなきゃいけないのはわかってても、そう受け入れられるまでもうしばらくかかりそう・・・。
次がいけるとは限らないし、次のことを考えるのは今はちょっと精神的にきつい。
だめもとでテストセンターにメールを書いてみた。
「re-evaluationしてほしい」と。
するとわりとすぐに、私がプライベートレッスンを受けた先生からメール見たよと電話があった。
私には今2つのオプションがあると。
1. 同じセンターで私の試験時のテープを聴き、違う試験官がRe-evaluationすること。
2. それでも納得いかなければそのテープをイギリスのIELTS試験本部に送ってRe-evaluationを求めること。
の2つだそうだ。
点数は変わることもあるが、変わらないこともあると。
これが一筋の光であるのか、もがく受験生への対応策であるだけに過ぎないのか、わからないけど、とりあえずお願いしますと伝えた。
いつも120%明るい私ですが、今日は暗くてごめんなさい。
■ 2004/04/09 (Fri) 1日たって・・・
働きたい、働いてる間は気がまぎれる・・・そう思ってたらちょうどオーバータイムの申し出があり、今日は12時間働いてきた。
朝も気分は暗かったけど、仕事がそんな気分をふっとばしてくれた。ありがたいことだ。。
あれからいろいろ考えている。
昨日の夜はだんなにだだをこねる子供のように「もうこんな試験2度と受けたくない!」とかなんとか、泣いたりあたったり、そんでもって自分から謝ったりしてた。
でもだんながぼそぼそと口数少なに言ってくれたのに、「もしいやなら日本に帰ってもどこに行っても俺はいいよ。アメリカにきて何もない段階からここまで来れたし、どこに行ってもいつでも一から俺はできると思ってる。」
この人には築いてきたものを失う怖さはないんだろうか・・。そこらへんが私にはないすごい部分だと思う。私はそういうのが怖くてしょうがないんだと思う。
だから「なにがなんでも」とか「絶対」・・とかでがんばりすぎてしまう、いやがんばってるというよりはそれが空回りになってしまうんだと思う。
やると決めたら徹底的にやりたい人といえば長所になるが裏を返せば意固地というか、ぐーっとそこに入り込んでいってしまう傾向が私にはある。
でも振り返って思う、今回の勉強方法が正しかったか?いや、私はほんとに試験と向き合っていたか?
答えはNO。
いつも背中を向けながら、それでも自分をずっと試験に向かってプッシュし続けたという感じがしてならない。いつでも試験というものはいい気がするものではないけど、今回のこの試験に対しては何が何でも、絶対に・・の思いが強くて、向き合っていないくせにストレス・嫌悪感をいっぱい感じてずっとずっとしんどかった。
自分の性格はわかってる。
わたしはきっとあきらめない。きっと次の試験を受けることになると思う。
でも、今はまだ正直試験のことを考えると「おえ〜っ」って気分だし、こういう状況でまた試験勉強しなきゃ・・って思うのはまた空回りするだけなのがわかってる。
しばらくかかってもいろいろ気持ちの整理をしようと思う。
ここまで来た経緯、そしてこれからどうしていきたいのか、などなど、これまでしばらくの間、とても自分の視野が狭くなってたような気がするので、それをちょっと柔軟に広げていきたいなって思う。
それで試験に対してもう少しポジティブな気持ちで向き合えるコンディションを作れるような気がしたときに初めて勉強のことを考えようかと思う。
■ 2004/04/12 (Mon) その後・・・
IELTSのテストセンターからメールが入ってた。試験のテープをロンドンに送りましょう。と・・・。
そのメールにすごい優しさを感じた。
電話をかけた。私のプライベートレッスンの先生だった。
その先生、もしくは違う先生がきっと私のテープを聴いて再評価したんだろうけど、その結果についてはノーコメントだったわけで、その意味は私にはわかる。だめだったんだろう・・。私の状況をわかってくれてて、知ってくれてるだけに「だめだった・・」って言えなかったんだと思う。
こうなるとイギリスに送ったところで可能性としては薄いな・・・。
だけど、今、人種問わず、すべてにおいて人の優しさをひしひしと感じる。
同時に弁護士さんからもメールがあった。「試験結果はどうなってますか?連絡ください。」と。
すぐに連絡した。
いろいろ考えられる今後の状況を聞いた。ビザスクリーンの結果をいつまでも待たないという期限付きに法律が変わったと発表されたのが去年の9月。それから1年待つという猶予がついたのが実際7月らしく、おそらく今年の7月までというのが最大の猶予だと思っておいたほうがいいと。
となると、次の試験がほんとの意味でのラストチャンスとなる。
が、前例がないので、その段階でだめだった場合どうなるかははっきりとはいえないが、「グリーンカード申請却下」ということはありうると。
そうなった場合、だんなの会社での申請に切り替えられるのかと聞いたが、そうなると全くの新規ということで申請になって、合法の滞在ステータスは「棄却」の段階でなくなるから、棄却されると一旦日本に帰らないといけなくなると。そして日本から申請をやりなおして、その後再渡米という可能性はあると。
そうして再渡米するにしても数年単位はかかるだろうから、事実上すべて引き上げて日本に戻るということになる。
私は楽しく働いてる。毎日いろんな新しいことに出会ってエキサイトしながら臨床でナースとして働くことに喜びをもっている。
だんなもこっちで資格をとって、がんばって行きたかった会社に転職できたところ。楽しんで仕事に行ってるのを私は知ってる。
日本は大好きだし、日本がいやだからアメリカに来たわけじゃない。
でも、今アメリカに居る意味は私にとってすごく大きいわけで、まだまだこっちで学びたいことややりたいことはある。日本にいずれ帰るにしてもこういう形で帰らなきゃいけないという状況になるのは自分の本意ではない。
私はこの大きな大きなストレスに耐えれるんだろうか・・・。
たかが語学の試験。それが人生を大きく左右する。
もうアメリカで働いてるのになんで今こんな状況に陥ってるのか、理解しがたい人もいっぱいいると思う。
同じような状況の人だときっとうなづいてくれると思うけど、
「移民にとってのビザの壁」
想像しようのないくらい大きな大きな壁なのです。
今のところ次へ向けてどうしていくか、試験にむけてどうしようか、まだ考えられない。
優しい言葉・言動にほろほろと泣いてしまうくらい繊細な自分がいる。
プライベートレッスンの先生が言ってた。「すべてのドアをオープンにしなさい。すべての可能性にかけてみなさい。」と。それはスコアをイギリスにも送るし、そのかたわら試験勉強を始めろということだと理解した。
弁護士さんが言ってた。「これまでの傾向として、まじめに生きてる人はいつも最終的にはちゃんとビザがとれてるので、そういう面から私は大丈夫だと思ってます。」と。
過去、真剣にやってきた試験というもので大きな失敗をしたことがない私。いつもどきどきしながらも結果的にはうまくいく、私は受験に強い人間だとずっと自分を思ってきた。
これは本当に自分にとって大きな大きな試練だと思う。
最終的には人生なるようにしかならないとはいつも思っているし、もし日本へ帰るようなことになっても、それにはそれの意味があるんだとも思う。
でもやっぱり自分の努力でコントロールできるんだとしたらがんばってみたい。
だんなの好きな言葉が「自然体」。合気道にはまってる彼らしく、あまり物事に動じない。
立ちはだかる大きな壁、ふりかかる不安とも共存していくためには私にも「自然体」なる何か大きな精神的修行が必要な気がする。心落ち着けてどうかがんばっていく力がこの先湧いてきますように。。。。
■ 2004/04/13 (Tue) 怖い夢
昨晩こわーい夢を見てそれ以降寝れなくなった。
自分の試験の時のテープを袋に入れて、それを足に巻いてイギリスに届けるべく暗い海を一人で泳いでいってる夢だった。
病んでるな・・・・私・・。
職場でもいろんな人が気持ちよく声をかけてくれるたび、この環境を失うことになるのは耐えられない・・・と涙が出てきそうになってはそれをがんばってこらえる・・というのの繰り返しだった。
病んでるな・・・。かなり・・・。
まだ終わったわけじゃないのに・・・。
でも人生、こういう真剣に悩む時間も必要なのかな・・とかも思う。
たいていの悩みごとは一日で消えるタイプ。どんなに悩んでても寝るのと食べるのに関しては変化しないタイプ。
でも不眠とは無縁の私が昨日はほんと寝れない・・・って思って怖かった。
でも救いはまだ食欲は旺盛。そう考えるとまだまだ私の悩みは病みきってはないのかな・・・。
いつものようにノー天気な自分に戻りたい。
おもしろいことが思い浮かばない私はちっとも私らしくないって思う。
■ 2004/04/14 (Wed) 少し上昇気味・・・かな
友達とランチに行ったり、髪の毛切りに行ったり、買い物に行ったり・・・今日はいろいろいい気分転換ができた。
まだ日本には帰りたくない、こっちに残りたいという気分が強く、そのプレッシャーはいっぱいあるけど、でも今日の進歩は「なんか試験までがんばっていけそう」・・・な気がしたこと。
やるだけやってだめならその結果を受け止めようと思う。
でもやるだけ何をどうすればいいのかはまだ模索中。
文法、リーディングとは違ってスピーキングの勉強は机に向かってる時間に比例して伸びるものではないことはこれまでの経過で十分わかっている。
だからといって、ただ職場で話す英語だけでは試験にはダイレクトに結果として響いてこないのもわかっている。
できる人はどんなやり方でも勉強になるんだろうけど、私のようなぎりぎり人間には何かストラテジーてきなものを得ないことには短期では要求されてる点数に届かないとも思う。
どういう方法がいいのか・・・・
やみくもにやってもしょうがない。
自分にあった対策を考えないとな・・・。
とりあえず気持ちは少し元気を取り戻しつつあります。
これもみなさんの温かいサポートのおかげです。ありがとうございます。
■ 2004/04/15 (Thu) かんなり元気
こうして日記を書いていると自分の気持ちの動きが自分でよくわかっておもしろいやら恥ずかしいやら・・・。
かなり今日は元気になってる自分に気づく。
・・というのも昨夜、だんなといろんな話をした。彼はもし日本に帰ることになったら東京に行こうか・・と。私は東京5年住んだ経験あるけど、彼は大阪から離れたことのない人。なので東京にも興味があるみたい。私も東京好きだしね。
彼の系統の仕事もきっと東京のほうが見つけやすいかもね・・・とかも話していた。
あと、そうなるとその後どうするか?
私は次の試験が最後と思わないようにして、日本に帰っても受け続けようかな・・って思い始めた。とにかくスコアを満たすまで根性で受け続けるってどうだろう・・・。
で、受かった時点でまた一から病院探しをして日本からグリーンカードをアプライする方法でもう1度トライしてみるのもいいかもしれないと思う。
とりあえず今の病院はきっとまたサポートしてくれるに違いないって聞いてもないけど、そう思ってるし。
だんなはそのあとニューヨークに行くってのはどう?・・・とかいろんなこと言い始めたし。
そう、どこに行ってもいいのよね。私はロスが好きだけどどこか違うところに住んでみるのも面白いかもね・・。
ニューヨーク、いいかもね。(だんなはほんとは勢いのある中国に行きたいらしいがそれは私が却下した。理由は「トイレのぞかれる」って言ったら「なんもわかってない」って言われたけど・・・)
どこまで本気で話しているのか自分自身よくわからなかったが、こんな話しをしているのは楽しかった。
そう、私は一ヶ所にじっとしてるよりもいろいろ動くのが好きなのよね・・・。今は動く時期じゃないってずっと思ってきたけど、何かが動くチャンスになるのかもしれないし・・・。
試験がだめでもそれはそれなりの楽しい未来が待っているかも・・・と思えるようになってきてすごーく楽になった。
とりあえずこの試験にパスすることは私の人生の課題として取り組もう。その経過でたとえ日本に帰ることになっても・・・。それはそれでいいんじゃない・・・。
なーんて、なんか心配してくれてる方に申し訳ないくらい元気になってますが、今後ともよろしくです。
■ 2004/04/16 (Fri) 学生さんとともに・・・
私の5人の受け持ち患者さんのうち、3人の患者さんを2人の看護学生が見ることになった。
バイタルサインとか測ってくれるので、それで楽チンはできるんだけど、やたらと質問が飛んでくるので忙しさはプラスマイナスゼロってところかな・・・。
彼女たちにアセスメントシートの書き方を聞かれた。両足首あたりにWoundsが3ヶ所あって、それはすでに黒色の壊死組織になっている。浸出液は見られず乾燥している。が、そのうち1ヶ所は水泡ができている。それをどう表現すればいいのか・・・と。
表現の方法、ほんといつも私も悩むところなのよね・・・。simple is the bestだとは思いつつ、言葉足りずのことも多々あると自己分析している。
学生にいいかっこしたいところも実は本音にありながら一緒に悩むことになった。
「うーん・・なんだろね、なんて書こうかね・・」
傷の表現は山ほどある。私はかさぶたのようになった黒色の傷を「Eschar」というか「Scar」というかで迷った。あげくEscharにしておこうとなったんだけど、さてどっちがぴたっとくる表現なのか・・・。どちらも当たらずとも遠からずってところだろうけど、これはこういうのよ!とETナースでもきたら教えてもらえただろうに・・・。まだまだ未熟な私。
あと、水泡という単語が浮かばなくて、学生さんがひねり出したのが「Bubble」だったんだけど、「そうじゃないんだよなー」と、何が適切か思い浮かばないくせになんか違う・・と軽く否定だけはした。
で、結局ベテランナースに「お願いちょっと来て、言葉がどうしても思い出せない・・」と来てもらった。
「あー、Blisterね・・」とあっさり。
あ、そうだー。そうだー、そうだわ。。。。その言葉を聞くと「水泡」と出てくるのに、逆はでてこない。こういうことはほんとよくある。
ベテランナースには「そういうこと聞けるあなたはBraveよ、これからもいつでも聞きなさい」って言われた。
褒められたようでうれしいが、なんか喜んでいいのか??とちょっと微妙なお言葉だった。
ま、いいとしよう。
あとIVもれたから入れなおしってときも学生さんは興味のまなざしでじーっと見るからやりにくいったらありゃしない・・。ま、でも逆だと私もそうしてるもんな。。これもしょうがないか・・。
学生さんと一緒に患者さんをみるの、その学生さんにもよるけど、今日の二人はとってもいい子たちだったし、こっちもその質問によっていい勉強になったし、楽しかった。(たまに、偉そうで人を試すかのような質問の仕方をしてくる学生もいるので、そういうのはいい気がしないけどね・・)
アーンド・・・
私のStatus状況、続編だけど、弁護士さんからメールが届いていた。
7月にビザスクリーンのスコアが満たされていなければ申請が却下になるかどうか・・という見解が弁護士間でも分かれているとのこと。
いろいろ現状(たぶんナース不足とかそういうことだと思うけど)にそぐわない法改正のため、国務省だとかも移民局に働きかけているらしく、つまり7月がだめでもすぐ強制帰国させられるのではなく、まだ待ってくれるという見解のほうが可能性が高いんじゃないか・・という内容だった。
ま、だからといって、法が変わってこの7月が来てみないと移民局がそれにどう対応するかは前例がないため、誰もわからない。Nobody knowsの状態。
専門家の意見が分かれてるくらいだから、素人の私たちが振り回されるわけです。
これもこの時代にアメリカでライセンスをとって働いているという自分の運命みたいなもので、なりゆきにある程度まかせるしかないな・・・。
■ 2004/04/20 (Tue) 労働許可が届いた
2月の下旬に「労働許可の更新が遅れた〜」、「働くのが継続できないかもしれな〜い」と、ここ日記でもヤイヤイといった労働許可の更新。動きがどんどん遅くなっている移民局の仕事に期待はしてなかった。きっと3ヶ月たったのち、移民局に並ぶことになるだろうと腹をくくっていた。
それがなんと1ヶ月半もたたず、あっけなく送られてきた。
「思ったより遅い」「思ったよりめちゃめちゃ遅い」ということは過去何度も経験してきたような気がするが移民局の仕事で「思ったより早い」と思ったのはこれが初めてのような気がする。
なぜかその労働許可の写真がふっとさみしさを感じさせるような写りになっているのがちょっと気にかかるところだが、ま、そんなことはよしとしよう。
とりあえず、今の労働許可が5月の末で切れるが、それ以降も働けるということは確定した。よかった・・・。
ビザスクリーンのテスト勉強も少しずつ始動しはじめているところ。
完全に捨て試合になっているTSEにも、ちゃんと気持ちを傾けて、あらゆる可能性にかけるという意味で勉強してみようかと思い始めてきているところ。
6月はじめのTSE、6月の末のIELTS、申し込んでみた。
しかし、どうして受験料はこんなに高いんだ・・・これらの試験やレッスンのためにいくら費やしているかは考えたくもない・・・。(だって余裕で10万円以上費やしてるのが計算しなくてもわかるから・・・)
ま、そんなこんなだけどやるっきゃない!
* ちなみに上記、移民局の行列の件ですが、最近INFO PASSという予約システムができたので、これからはもう早朝からの長蛇の列に並ばなくてもすむようになったようすです。詳しくは移民局http://uscis.gov/graphics/index.htmのサイトまで・・・
■ 2004/04/23 (Fri) いろんなことがあった16時間
ダブルで働いた。日勤からの患者さんを引き続きもてるので、情報収集とかいう点では楽チンにお金をもらえてラッキーと思うこともあるけど、今日はそうじゃなかった。
いろんなことがあった。ノンストップであっというまに過ぎたといえば過ぎたけど、いろんなことがあったのでもっと長くいたような気もする。めちゃめちゃヘビーな16時間だった。
悲しいこととしては7ヶ月前、おそらく私がひとり立ちしてはたらき始めたころに受け持ってた患者さんが再入院してきたこと。でも最初同じ人と気がつけないくらい様子が変わり果ててた。咽頭がんで前から首は腫れてたけど、難しいながらなんとか座ってごはんが口から食べられていた。で、そのときに手術を拒否して家に帰ったというところまでは私の知ってたところ。が、今回入ってきたのは他の病院経由で来たみたいだけど、顔がぱんぱんぶくぶくにむくんでいる状況、口はもう開けられない状況、気道切開してそこから呼吸している状況、胃にチューブが入っていてそこから栄養がいってる状況、体は自分で動かせなくってお尻には大きな褥瘡ができてる状況・・・。といった感じで。。。
前を知らなかったら単にヘビーな患者さんとしてケアしてただろうけど、前を知ってるだけに、そして家族も知ってるだけになんか気持ちがすごく入ってしまった。
結局呼吸専門の病棟のベッドが空いたということで、そっちに夜に転棟した。
おもしろいことととしては・・・といってはなんだが、異常な行動が見られるということで入院してきたおばさん。63歳で早くもアルコール性の痴呆があるみたいだけど、だんなさんいわく彼女はすごくIQが高くてインテリジェントな人だそうな。そう何質問しても完璧に答えられる。時間、自分の年齢、そしてシチュエーションまできちんと答えられるし、そういうときはほんと普通に見える。が・・・何かおかしい。
昨日の異常行動は、すべてのものにキスをしまくること。指一本一本、マグカップ、お皿、そして靴下に本、チュッチュッチュッチュッと忙しそうだった。でも人にはしないんだよねー。物にだけ。で、人が見てないときにそれをしていることが多い。
で、今日新たにでてきた奇異行動は、いろーんなものを集めてきてそれをベッドサイドの床につみあげていく作業。その様子が笑い事じゃないんだろうけど、おかしくてしょうがなかった。トイレからもってきたであろうトイレットペーパー、便座カバー、そしてタオルに、寝巻き。そして自分の食べたあとの食器類もそこに置いていく。あと、隣のベッドのおばあさんは意識がない人だったんだけど、そのおばあさんのオムツとか、胃チューブに使うようのシリンジとか、シーツとかまでせっせと運んでいた。
強迫神経症に違いないね・・と他のナースとは話してたんだけど、看護助手さんが真正面から向き合って一生懸命にひとつひとつ戻していく姿もまた面白かった。
アルツハイマー?痴呆?精神疾患?まだちゃんとした診断名はついてなくって、すべての症状はここ最近に起きているようで、だんなさんがその彼女の様子についていけてない様子だった。それもそうだろう。家族がそうなったら、そんなこと否定したいに違いないよね・・・。
あと、いやな感じのドクターがいたり、かわいいおじいちゃん患者さんがいたり、AMAにサインして帰る患者さんがいたり・・・書けばまだここまでの5倍くらいかけそうなくらいいろいろあったけど、このへんにしておこう。
家に帰ったのが夜中の12時前だった。
むしょうにラーメンが食べたくなった。で、調べたらその時間に開いてるラーメン屋があったので行って来た。
いやー、日本みたいやねー。夜中に食べたラーメンの味は最高でした。
■ 2004/04/27 (Tue) オーバータイム
ここのところ、やたらとオーバータイムのオファーがかかる。私に限らず毎日、1人いや、2−3人、ひどいときは4人くらい日勤のナースが居残って準夜勤帯を引き続き勤務している。
準夜勤のナースの数が足りないようす。で、そんなときはかつてリソースのナースでまかなうことが多かったのに、最近はまずスタッフに声をかけるようになった。
・・・という理由は本筋の話しかどうかはわからないけど、リソースのナースを臨時で雇うよりもスタッフナースにいくらタイムアンドハーフ(時給の1.5倍)やダブル(2倍)支払ってもその方が安くて患者からの苦情が少ないから・・・という話し。
リソースのナースには一人あたり時給75ドルだか78ドルだか支払ってると聞いて驚いた。(もちろん会社側の取り分があるので、どれだけリソースナースの手元に入るのかは知らないけど・・・)
しかーし、たまにやるオーバータイムはいいけど、しょっちゅうはしんどいのよねー。お金より、しょせん体が大事。みんな考えはよく似ていて、今日はみんな断ってたみたい。で、こうなると来るのは私のところ?目で追っかけてくるチャージナースからいやだいやだ・・と逃げてたんだけど、手をあわせて(一応日本人のものまねをしてるつもりらしい・・)「アリガト」「アリガト」というわけのわからないジェスチャーについに負けてしまい4時間居残ることになった。(なんか普段こわい雰囲気をかもしだしてる人がこういうことするとかわいい〜とか思っちゃうのよね・・・。)
とはいえ今日は4時間のオーバータイム。19:30まで。しかしその最後の4時間が忙しくってCrazyきわまりなかった。
痙攣する患者、痛い痛いと訴え続ける患者、新しい創傷ケアのオーダー、抗生剤チェンジのオーダー・・それに各患者のドクターが夕方になってどかどかやってきて、それぞれがいろーんなオーダー出してくれるもんで、キャッチアップするのに大変だった。いや、すべてキャッチアップできないまま結局次のシフトにヒーフーいいながらパスした・・・という感じで終わった。
なんか消化不良だわー・・・。
しばらくオーバータイムはやりたくないわ・・・。体がもたないわん・・・。
■ 2004/04/30 (Fri) ドジャース
2日前の話になるが、ドジャースの試合を見に行った。日本からゴールデンウィークを利用して遊びに来ただんなと私の共通の友達のリクエストによりそこに行くのが決まったんだけど、たまたま日本とアメリカのなんちゃら記念(?)とかの日だったようで、日本領事館の総領事の挨拶だの剣道のデモンストレーションだの、試合前の日本ちっくなセレモニーが見れた。
あと、とんねるずのたかさんも間近で見れた。一人でうろうろしてたけど意外とテレビどおりだなーとか思った。ミーハーなのでこういうのちょっとうれしかったする・・・。
で、ネットで席をとったにも関わらず後ろも前も日本人だった。全体的にもかなり日本人が多かった。対戦相手がメッツということもあって、野茂や石井だけじゃなく松井(カズオのほうね)も見れるということもあったのかな・・。(ちなみにこの日は松井が初打席でホームランを打った日です)
で、うしろが典型的な日本から来たと思わせるコギャル。と、それにつきそうちょっと頭悪そうな男。彼らのおバカ満載な会話が聞こえてくるたびにキレそうになる私たち。。。だんなと友達とお互いにひざのつねりあいをしてなんとかしのいだが・・・。もうちょっとアルコールが入ってたらたぶん説教してただろう・・・。
ま、仕事の後に行ってビールが入ったりしてかなり眠たかったけど、野球というか球場の雰囲気はかなり楽しかった。
で、昨日から友達とだんなは宿泊先も決めないまま4泊5日の旅にでかけた。ラスベガスやグランドキャニオン、モニュメントバレー方向へ向かうそうで・・・。
男同士っていいわねー。楽しんできてくれい〜。
わたしゃ仕事に勉強、そしてきんぎんのお守りにいそしんでおきます。