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■ 2005/03/03 (Thu)  復活!?

というほど、まだ復活していません。
とりあえずいまの状況を簡単に・・・。
今これ、ダイヤルアップ接続=超おそ接続で書いていまーす。メール開けるの時間かかるかかる・・・ということで、メールオープンする頻度が今極端に減っていますので、お返事かけてないの、ごめんなさいです。
DSLがひけるまで、まだしばらくかかるようです。電話番号はかわりましたが、このサイトのアドレスは変わらず使えるようなので、引き続きよろしくお願いします。

いやしかしなんですねー(小枝風)
引越し、たいへんです。
まだまだ家の中は箱だらけ。荷物の片付けとかは徐々にやっていくとしてよしとしよう。
そういう以外の問題が毎日勃発しっぱなし。
自分の家なので、なんでもかんでも自分で処理しないといけない。(正確にいうとハウスではなくコンドミニアム、日本でいうマンションみたいなところ)洗濯機をつけたら水漏れが発覚、乾燥機がきたけど、ガス会社に特別にいって開けてもらわないといけない栓があった、ガスコンロが来たけどパイプの長さが足りないのでインストールできない・・などなど、これまで大家さんに言えばよかっただけのことが、何でも自分でやらなきゃいけない。前のオーナーに苦情をいうべきところは、それをカバーすべく前のオーナーが保険に入っているので、その保険会社との交渉。アプライアンスストアとは再インストールをいつしにきてくれるか交渉、ガスの会社とも日時の交渉、水道工事に関してはコンド全体の水道を一時的にとめてしまうので、それに対するNOTICEを貼るなどなど・・・。

あ〜、家を持つってめっちゃ英語力いる〜〜〜〜・・・。・・・と思う今日このごろ。
今でも四苦八苦しながらやのに、アメリカに来たばっかりの自分の英語力だと絶対こんなのに対応するの無理だっただろうなーと思う。

で、英語でクレーム言う回数が多いこのごろ、英語でもめっちゃ感情的に怒ってる自分がいるのにふと気づく。It's rediculous! Not acceptable! You should do it today, NOT TOMORROW!! などなど、だんなが温和な声で相手を説得していると横でついイラついて、変わって!とふんだくって勢いよくこんな風に言ってしまう私がいたりする。

新居、めちゃめちゃ快適。
でも引越しに伴ういろーんな手続きや事件によって、「アメリカ人のずさんさ」を目の当たりにする。さいあく〜、絶対かんがえられへん〜・・・ということが続く。
私にとっては普通と思われる常識が相手には通用しない。この「常識の範囲」の違いで大金がとんでいったり、予定を変更せざるを得なくなったりと頭を抱えること多し・・・。

毎日がいい社会勉強やね・・。



■ 2005/03/07 (Mon)  通勤

引っ越して通勤に少々時間がかかるようになった。距離はほとんど同じ、10マイル。が、前に住んでたアパートは極端にフリーウェイに近いところだったので、した道を走らないでいい分早かった。
今は道路事情にもよるが、早くて15分、時間がかかって30分というところだ。

が、何より一番変わったのは通勤途中に見える景色。
これがすばらしい眺望で思わずわき見運転になる。
うちから病院まで行くのに、二つの橋を渡っていく。うち一つは大きな立派な橋でなんとも爽快な気分になる。海が近く(といってもビーチではなく港。)海や大きな石油コンビナートなどが横目に見える。

Down sideとしてはトラックが多い。港の近くだからしょうがない。そしてアメリカのトラックは日本のトラックとはわけがちがう。やたらめったらでかい。前後と横をそんなトラックにはさまれるとひえ〜と思わずハンドルを握りしめてしまう。
ま、そんなトラックも港からの荷物を運んでるんだ・・と思うと、全米に、世界にと流通経路が見えるようで、あーつながってるんだなーなんて感動もする。(空港で飛行機みる感覚と同じ)

職場で世間話をする。話しているとけっこう最近家を買った人、家を買おうとしている人がいるのに気づく。
あのへんはいくらいくら、このへんはいくら、広さは何スクエアフィート、ローンの利率は、ダウンペイメントは・・・などなど、で盛り上がる。
頭金ゼロで5000万円近い(452000ドル)一軒家を買った27歳男性のRNの話しには驚いた。毎月の返済額がえらいことになっている。大丈夫なのか???
健康にだけは気をつけなよーとか話しているのに対し、「いい保険にはいっときなよー。嫁と子供のために・・」と言っておいた。
失礼な!と笑っていたが、本気だ。

うちもそういう保険にはいらなきゃ・・。
昨晩、だんながぽっくりいったほうが支払いが困難になるのか、私がぽっくりいったときのほうが支払いが困難になるのか・・・なんだかそんな話しになった。
話しにはまだ決着はついていない。



■ 2005/03/12 (Sat)  まだまだ頭の痛い移民局

昨晩ようやくDSLが開通。
久々サクサクと動いてくれるパソコンに感激。ほんとに高速ネットがないと不便とこの2週間で実感した。オンラインで行うペイメントもセキュリティー画面だとなおのこと遅くなる。ネットはいまや生活必需品。ネット依存度の高い自分たちの生活に気づく。

ところで私たちのグリーンカード、どこにいったのでしょう・・・。
1月下旬に面接を受け、その際ビザスクリーンCertificationが手元にないという理由でペンディングされ、「来週に必要書類の書いたメールを送るからそれにしたがってください」といわれ返された。その直後にCertificationは届き、もういつでもこっちはReadyなのだが・・・。
さて何週間たったことか・・・。
あれから何の音沙汰もない。

電話で確認しようとしてみても「60日たってからでないとInquiryを申請できない」といわれ、弁護士さんにも「確認してみます」といわれたまま。。。

ま、それはいいとしよう。
私の今の問題はアドバンスパロール。
まだそんなこと言ってるの〜?といわれそうだが、そんなことを言っている。
昨年末に帰りたいとアドバンスパロールを11月上旬に申請した。おそらく年末には間に合わないといわれ、帰国をあきらめニューヨーク旅行に切り替えた。
だんなと全く同じ日にまったく同じ書類を揃えて提出した。だんなのアドバンスパロールは12月下旬にすでに届いている。
私のだけがなぜか来ない。
オンラインでチェックするステイタスにも情報の変化は現れないまま。
なぜ来ないのか??
5月、だんなのBusy seasonが終わったら結婚後初めて一緒に帰国してみようと話しているにも関わらず、私のアドバンスパロールが届かないでは勤務のバケーション希望もできない。
そんなことがいってるうちに5月のバケーション希望、締め切られてしまう日が近い。
どうしよう・・・。

実際、1月下旬に「だんなのが届いて私のが届かない」と移民局に電話した。(この電話、マシーンが応答しており、人間につながるまで運よければ5−10分、下手すると30分、人につながるまで待たされる最悪のシステム。)その際、「Inquiryをリクエストします、30日以内に何かしらレスが来ます」とのこと。1ヶ月たった2月下旬、引越し直前。なんのレスもないままだったので、また電話してみた。電話の向こうのお兄ちゃんは「コンピューターにはなぜ遅れてるのかのインフォメーションがない。またInquiryを出します。30日以内に何かレスがあります」と機械的にいう。
「30日たったから連絡してるのに、また30日なんて待てない!!いい加減すぎる!!」と腹をたてて電話を切った。

それから2週間もたつ。アドバンスパロール、実に申請してから5ヶ月ちょっとでレスなし。これは長すぎる・・。
そして移民局、いい加減過ぎる。
仮になくしたのならなくしたと連絡をくれれば再申請でもするのに・・・。
もしかして今日来るか明日来るか・・と思う日が続いているためそういうアクションも起こせず・・・。

5月の帰国はかなり怪しくなってきた。(職場の勤務希望締切日に間に合わない)
6月の帰国には間に合うかな・・(できることなら梅雨は避けたいんだけどなー、チョイスがなければそうも言ってられないか・・)
7月になるとだんながまた忙しくなるから二人での帰国が難しくなる。。。

あー、移民局、どこまでストレスを与えるんだ・・・。
とりあえず「移民局スタッフと直接話したい」と3/23の午前中にインフォパスでアポイントをとった。仕事休んで移民局に行くつもりでいる。どうせその日にもらえることなど期待していないけど、自分ができること見つけてやってみなきゃ、何も進まない気がしてしょうがない・・・。



■ 2005/03/16 (Wed)  いろいろ近況

ようやく家の中の片付けもひと段落。そして先週末、都合のつく友達たちにきてもらった。家探しするときいつも頭に"友達が気軽に集まれる空間"というのがあったので、実際そうして友達が集まってくれているのを見てとてもハッピーだった。
前も古いし狭いながらも割とよく友達には来てもらっていたが、なんだかいい車で来られたら「傷つけられませんように・・・」とストリートパーキングさせることに罪悪感というか、変な責任感を感じていた。(・・というくらい、夜はまあやばい感じのところだったので・・・)
今回はそういう面でひとつ心配が減った。

来週移民局に行ってアドバンスパロールのことで戦うつもり(気持ちはそんな感じ)。で、休みをとることにしたので、その分働かなきゃ・・と、月曜と今日、4時間ずつオーバータイムしてきた。
月曜は楽勝オーバータイムだった。
今日は最後の4時間でめちゃ手間のかかる入院をとることになって、最後はばたばただった。
抑制が必要、叫ぶ、暴れる、confuseしてるから話にならない・・とその中でスキンケアをしたりNGチューブを入れたりするのは至難のわざだった。イブニングに働く黒人のでかい兄ちゃん看護助手に手伝って〜、抑えてて〜と何回頼んだことだろう。
力ずくで押さえてくれて助かったが、そんなに強く抑えんでも・・ってくらい患者がみじんも動けなくなったのでちょっとおかしかった。
日勤帯にはこんなどでかい兄ちゃん看護助手さんはいないもんね。

ERから送られてきた患者さん、全くスキンケアされてなくって、あ〜あ・・・って感じ。彼らの優先順位からすると低いのかもしれないが、もうちょっと患者さんきれいにしてきてー・・・って思う。皮膚がずるむけたままの場所が4箇所もあった。
オムツかぶれとかもすごかった。これはそのおじいちゃんが来たナーシングホームからのものだと思われる。ひどい、何にもケアされてないんじゃないの??と思う。

とにかく、自分達がここで患者に作ったスキンproblemじゃないということを示すために、病棟に来た当初どんな状態であったかをきっちりチャートしておいた。
(褥瘡のことで誰が作った、どこの施設に行ったときに作られた・・などと裁判問題になるケースはやたら多いようで・・)

スキンケアするの大好き。でもきちんとしよう・・と思うとほんとに時間がかかってしまう。
ERに限らず、うちのフロアでさえもWound careってどうしても優先順位「1番」にはなれないんだよな・・・。
Woundに興味があっても、それより優先させなきゃいけないことがあって、「ちゃんとやりたい」と思う気持ちと「やってる暇がない」という気持ちのハザマでがっくりすることはある。

そんな私、明日は一日自分のフロアを離れて「Wound パトロール」なるチームに初めて参加させてもらうことになった。うちのフロアからは二人のRNが参加する。マネージャーが推薦してくれた。うれしいな。楽しみだな。



■ 2005/03/17 (Thu)  WOUND サーベイ

朝7時半、あるクラスルームにWound teamが集まった。マネージャーからは「とりあえず行くように」くらいのことしか聞いてなかったので、ほんと始まるまで何が行われるのか全くわかっていなかった。なんだか年に一度ある褥瘡調査のようだ。うちの病院だけでなく全部の病院がやらなきゃいけないといっていた。去年もやってたというが、私の記憶にはない。

とりあえず今回のポイントはすべてのスキン問題ではなく「Pressure ulcers」のみ。圧によっておきたulcersのみをチェックしていく。
まずはビデオで何を「ステージT」というのか、何を「ステージU」というのか・・・、そして何を「分類不可」とするのか・・などいくつもの症例を見ながら参加者のレベルの統一をはかるところから始まった。
(このビデオ、役にたつなーと思った。あ、これはステージWじゃなくVなんだ・・・とか自分の今までちょっと自信のない部分の知識の間違いを見つけることができたから)

すっかり私は「回診〜!」の行列についていって見るだけかと思っていたが、そこから先は少人数のグループに分かれ行動することに。。。
そして病院中回ると聞いていたが、私の担当は自分のフロア。なんだかワクワク度がここでがくんと落ちた。
ま、慣れてるところだからやりやすいからいいか・・・。

そして全患者の耳・肩・肘・背中・お尻・かかとを総チェック。食べてる人もいりゃ、寝てる人もいる。怒る人もいりゃとても協力的な人もいる。私は患者を転がしてチェックしていく係。そしてそれを記録シートに記録していく係のベテランさんがついてくれていた。
ステージTを疑う「発赤」を見つけた場合は、その場所を枕や体位変換で圧を除去して30分後に戻ってきて再チェック。発赤が消えてなければ「ステージT」とする。
患者数が下がっている時期でいつもより少ない51人が今日のうちのフロアの総患者数だった。
半日以上かけて終了した。
やってることは単純作業。だけど、なれないことなので疲れた。

全体の結果はまだ知らないけど、うちのフロアだけでいうと51人中ステージT以上の褥瘡を持っていた人は15人。「多いな〜・・・」とのベテランの言葉。そうだね。30%だもんね・・。

そんなこんなが終わり、今日はいつもより1時間早く帰ってこれた。月曜にまた追跡調査をすることになっている。

Wound Centerのマネージャーさんに「(Wound unitで働く)空きができたわよ。12時間シフトで日勤でも夜勤でも4月10日から来てちょうだい。」と言われた。いや・・・どうしよう。去年の夏くらいに自分が出した希望だ。なのに迷う。
自分のマネージャに相談しにいった。行きたかったら行ってもいいし、ここに残りたかったら残ってもいいよ。up to you。でもここにもWoundの患者さんいるしね〜・・・なんていわれた。
マネージャーは4/10からのスケジュールを頭を痛めて作ったところなので、今抜けられるのは「痛いぃ・・」ってところなんだと思う。
双方に、月曜まで返事を待ってもらうことにした。いろいろ悩むところだ。。。



■ 2005/03/18 (Fri)  郵便局

引越しから3週間近く経とうとするが何一つ郵便が転送されてこない。転送手続きは引越しまえにきちんと済まし、いついつから新しいアドレスに転送されますとのConfirmation Letterまで届いている。
引越し経験者からは「きちんと転送されてくるまでしばらく時間がかかるよ」と聞いていたから、ま、数週間しょうがないかな・・と思っていた。
しかし、前のアパートの大家さんにそっちに言ってるか聞くと、「引越し後数日はレターや広告が入っていたが、あるときからプツンと何一つ届かなくなった」と言う。

それはおかしい。
じゃあ私の郵便どこにあるんだ??
ペイメントだとかが遅れるじゃないの・・・。

郵便局であるUSPSのカスタマーサービスに電話。いちからいろんな質問が始まる。前の住所は、新しい住所は、いつ引越したのか・・などなど。
あーうっとうしい。
そしてその人からの回答は、「私にはわからないのでスーパーバイザーが24時間以内にあなたあてに連絡をいれるようにこのケースを回しておく」とのこと。

あてにならん。。。

今日は朝から用事があってたまたま前の家の近くに行っていた。郵便物があったので郵便局に立ち寄ったついでに、どうせこのおっちゃんたちに聞いてもわかんないだろうな〜くらいな気持ちで「私の郵便新しい住所にも古い住所にも届いてないの・・」と言った。
古い住所を見せたら「ちょっと見てくるねー!」と陽気な黒人のおじさん。
しばらくしてにこやかに奥から山のような郵便物を持ってでてきた。
おじさんによると「転送手続きはされてない」そして「行き場のないレターのところにあった」という。

恐ろしい・・・。
もし私が遠くに引っ越していて、前の住居の近くの郵便局に直接出向けなければどうなっていたんだろう・・。

「よくあるんだよ。俺も最近引っ越したところで、いろいろたいへんだったよ」とそのおじさん。
「カード類の支払いはレターが届かなくても自分からカード会社に連絡とって新たな住所にStatementを送ってもらったほうがいいよ、俺なんてこないだ休みの日、半日それにつぶしたから・・はーはっはっ。」
と。

郵便局員でさえ、信頼していないのか・・・。
とりあえず、もう一度転送手続きをおじちゃんの目の前でした。
ま、次もしばらくこなかったらここに来よう。
解決策がわかっただけでもすっきりした。

来月に入ったらうちのおいっこが6歳になる。昨日電話で話したら誕生日プレゼントをお願いされた。ちゃっかりしている。
かわいいおいっこのためにはなんでもお願いごとを聞いてあげたいこのおばちゃん。
が、最近は電車博士から昆虫博士へとなったおいっこの注文は「ヘラクレス大かぶとをブラジルに行ってとってきて」ということだった。
姉から「(ブラジルは)日本からよりもアメリカからのほうが近い」と聞いて、私に頼めばいいと思ったらしい。
難しい注文が入った。
虫取り網と虫かごを持っていくようにとアドバイスも受けた。
どうするかな・・・。



■ 2005/03/19 (Sat)  BM Lady

BMといってもBMWのことではない。病院ではBMというとBowel Movement=大便のことである。
私が抱えたたいへんな患者さん、名づけてBM lady。Main problemは端的にいうと「便秘」である。便秘くらいで・・・と一瞬思うが、入院するほどにまで至ったのだからそれそうとうのモノである。ま、状況としては腎不全や糖尿・高血圧・慢性腰痛などがあり、痛み止めを常時服用していたことなど、いろんな疾患が重なり合って、普通よりもより便秘になりやすい状況ではあった。

そんな患者さん、別に珍しいわけじゃない。今までもよく見てきた。たいてい、強力な下剤を飲むことによってたいていモノはくだってくる。あまりにも長い間腸内にモノが滞在していたら、かちかち(鹿のフンのよう)になるので最初はDigital Stimulationといって指で刺激を与えて、かきだすのを手伝ってあげる作業が必要になる。(日本語でいう摘便ってやつですね)

朝、部屋に入って行ったとき、肛門部が痛い、痛いといってぎゃーぎゃー騒ぐので、シーツをはいでお尻のあたりを見てみた。
ここで私の経験の中での記録となるサイズのBMを見ることとなった。肛門からのぞいていたモノとは、まさしく「赤ちゃんの頭がでてきました!!」という状態だった。大げさでなく握りこぶし以上の大きさに肛門が開大しており、おばさんは「うんうん」といきむがとてもでてこない状況。
私の中で衝撃が走り、誰かを呼びたくなった。これは何?一体何?

指で刺激しようもんなら、痛みを訴えてまるで私がカーテンの中で虐待しているかのような状態になる。「ぎゃ〜〜〜」「Don't touch!」「Don't do any more!」「 What are you doing!! 」「Noooooo!!」・・・・と・・・。
私はただひたすら、この塊さえでれば、おばさんの痛みはなくなるし、出してあげたい・・・との思いで、かき出そうとするが固さはまさにROCK、岩のよう。全くかちこちでなすすべがなかった。

ドクターからのオーダーは各種浣腸、強力経口下剤、そして座薬・・・とありとあらゆるものだったが、陣痛のようなもので、ひとしきり波がおさまるとおばさんはすべての手段を拒否。
頑固に拒否。

腸内に長くいればいるほど、でにくくなるし、痛くもなるし、がんばりましょう、と言っても「痛いからいや!」と拒否される。開くと痛いから、おばさんはかたくなに肛門を閉じようと努力しつづけていた。

ついに自分のシフトではかけらがころっとオムツにおちただけで、次のシフトに引き渡すこととなった。

明日、どうなってるかな・・・。
2週間分のBMをなめてはいけない。。。
(汚い話しですみません・・・)



■ 2005/03/20 (Sun)  とりあえず昨日の報告を・・・

気になっている方もいると思うので、昨日の患者さんの報告から・・・。(横でだんなが「どうなった?」と聞いてくるが、今から書くから後で読んで・・という私。特権はないのか?と聞いてくるが、そんなものはない。)

単刀直入に、結果オーライで今日、私のシフトで退院していった。
準夜勤帯に2度。大きな塊がでたようだ。
そして深夜帯には3度、そしてその後は泥状のものが滝のようにフロアまで流れたとのことだった。

患者さんは二人部屋。
この患者さんのとなりの人は40代の女性。
彼女いわく、「悲鳴と臭いですごい夜だったと・・・。」



■ 2005/03/21 (Mon)  決心→決定

先週木曜の日記にちらっと書いたが、今働いているDiabete Medical Unit(糖尿病内科病棟と看板はうたっているが、いわゆる一般なんでも内科病棟)からWound care unit(創傷専門病棟)に移ることで迷っていた。

こういう迷いのあるときは、33歳になった今でもなぜか母親に相談する私。母親はナースでもなんでもない、私の小さい時は専業主婦がメイン、プラスちょっと家で内職っていう感じのお母さんだった。アメリカの病院のことがわかっているわけでもない、ましてやWOUNDなんて意味も知らないだろう。
けど、なぜかいつも山場山場ではいいアドバイスをくれる。
どうせわからないだろうと思う気持ちもあり、こっちも一から十まで状況を話すわけではない。が、母親の答えは「今が移るチャンスだから移ったほうがいいと思う」と。
私の中で、今のところにとどまりたいと思う最大の理由が「今の職場の人間関係がいいから」「あんないい人たちと離れたくない」とかそういう理由だった。
母親は「いい状況で離れたらその後きちんとつきあえばほんとに縁のある人たちとはいい関係は続くものだ」とかそういうことを言う。年を重ねると環境を替えるのがどんどんおっくうになる。ましてや自分のやりたいことが勉強できる環境から声がかかってるなら、それは移るチャンスだと。
そう思う気持ちも自分の中にあるだけに、声をだしてこう言われると、気持ちも固まるというものだ。母親の存在に感謝。

これで「Wound Unit」に移ることを決心。

さて、次は夜勤にするか日勤にするか・・・・。
今の内科病棟のまま12時間に移行するならば、夜勤のほうがいいと思っていた。とりあえず職場には慣れてきたので、昼間寝ることが苦痛でない私にとって、今のところで夜勤に移るというのは、気持ち「ちょっと楽なほうに流れる」というのがあった。かつ夜勤手当分お給料があがり"おいしい"という考えもあった。
が、違うところに変わっていきなり夜勤というとどうなのか・・・。
ここはだんなと相談。
12時間勤務、病院でのメインのできごとは日勤帯の朝7時から夜7時の間に行われるだろう。もちろん夜勤にも学ぶことはあるだろうし、夜勤独特の大変さもあるだろうが、こと創傷処置に関してチームを組んで取り組むのは日勤のほうがはるかに学ぶ量が多いと予想できる。
だんなは常に「好きなように・・as you want」で何でもやらせてくれるし、特に強い意見は言わない人。が、今回は違った。
「学ぶ量が多いと思うほうに行き」という。「でもお金減るで・・」と私が言うと、「自己投資やと思い、お金は後からついてくるから・・」と。
そうだね。。。

これで日勤(12時間勤務)に行くことを決心。

そして今日、Woundのマネージャにその旨を話した。正式にフォームに記入し、サイン。フロアに連れて行ってもらって、4月11日から一緒にやっていきますとスタッフたちに紹介してもらった。

Medical Floorで働いて1年8ヶ月。次のステップに進むことがついに決定した。



■ 2005/03/23 (Wed)  不運

サンフランから友達が遊びに来てくれていた。引っ越して初のお泊り客だった。彼女はこっちでのはじめての日本人友達。ほぼ同時期にアメリカにきて、初めての語学学校で一緒だった。もともとLAにいた彼女、この春サンフランの大学を卒業し、日本に帰ることになった。しかも私たちが一緒だった語学学校で知り合った彼と日本で結婚する。なんとめでたい。

そんなこともありテンションが上がっていたのだろう。彼女と出かけようとし、扉を閉めたとたん、「やばい!」と気づいたがもう遅い。オートロックなのに鍵を持ってでるのを忘れ、立ち往生。
車の鍵もないし、なにもない。ひとまず鍵屋を呼んで開けてもらうことになった。待つこと30分強。そしてかかること65ドル。
痛い・・・・・。

ぶらぶらしてる途中弁護士さんから電話が入った。明日、移民局に行くなら念のためもっていっておいたほうがいい書類があるけど、取りにこれるかと・・。

夕方、友達をロングビーチの空港にドロップしてから弁護士事務所のあるWest LA方面へ向かった。ここから不幸続きだった。
途中からどんどん雨が強くなる。いつもの渋滞プラス雨による交通マヒがフリーウェイでは起こる。
結局どこかでスイスイ行けるという区間は全くなく、全行程において平均速度10マイルを下回っていた。
そしてWest LAまでかかること2時間40分。(すいてたら30分ほどの距離)
着いたら7時を少しまわっており、ドアがクローズしている。夜間入り口から入るが、次は弁護士事務所に行くエレベーターは閉まっている。他の人に混じりなんとか乗り込むが、行きたい階で止まらない。右往左往しているとたまたま私の行きたい階から乗り込む人がいたようで、そこでストップしてくれる。
そして、ある人と出会ったのが、たまたま私の弁護士さんとともに働くほかの弁護士さんで、私に気づいてくれた。(おそらく書類の写真とかでこっちの顔を知っていたのだろう。私は彼のことは知らなかったが・・・)

そして待っててね、書類持ってくるからといわれ、扉の外で待たされること25分。
ここでも非常に心細くなる。

無事、書類をもらえた。大事な書類だ。

建物のそとに出た。さっきまでちょっと止んでいたのに、大雨プラス強風にまたなっていた。パーキング代を浮かせるために近くのショッピングモールに車は止めている。たてものからパーキングまで1.5ブロックほど。
これじゃ書類が濡れるし・・と建物に戻ろうとしたらそこもオートロックでもう元には戻れなくなっていた。
近くには雨宿りするような屋根もない。

とにかく走った。
雨風に濡れないよう、書類をおなかのなかにいれて、走った。真っ暗な夜のオフィス街。走ってる人間なんてどこにもいない。車の台数だって少ない。めちゃめちゃ心細くなる。バケツをひっくり返したような雨になる。ほんの数秒で頭から足先までびしょ濡れとなる。

なんとかパーキングまでついたが、携帯は濡れて使えなくなるし、ショッピングモールにいる人たちには(どうしたの?)というような目で見られるしでなんか「私、不幸。。。」とみじめな気持ちになった。

そしてがんがんに暖房を効かせながら帰ることに。が、帰りもまだ渋滞が続いていた。いつもならこの時間はすいすいだ。おかしい。。。
そして家についたのが夜の9時30分だった。
なんとたかがWest LAまでの往復が5時間とは・・・。

私が家に着いたとき、おそらくサンフランの友達はとっくにサンフランの家についてるんだろうな〜と思った。
ついてないときは、ついてないことが重なるもんだね。。。



■ 2005/03/23 (Wed)  アドバンスパロール(海外渡航許可証)

(3/12の続きとして読んでもらったらわかりやすいと思います)
移民局の職員と話したいと、Info Passで朝10:30の予約をとっていた。10時ごろダウンタウンの移民局に到着。とりあえず10:30までは入れないと外の列に並ぶ。

10:30 セキュリティーチェックを受け、中に入る。番号札を渡される。自分は376番だった。そのとき呼ばれているのが240番台だった。げ、130人待ちか・・・。
ぽんぽんと立て続けに呼ばれることもあれば、しばらくシーンとなることもある。ま、130人はそう簡単にさばける人数ではなかろう。
12時になった。30数個ある窓口の半分以上が閉まる。(あれ、みんなランチタイム??)よくわからんが急速に呼ばれるスピードが遅くなった。私たち移民が待たされているでかい待合室は「No food No drink」と書かれている。ヒドイ・・・。
おなかすいた・・・。そんなものも、とおに通り越した。
そして午後2時過ぎ、ようやく私の番が来た。
移民局の担当官はそれは気のいいおじさんだった。アドバンスパロールが11月に提出していて来ないのはおかしいよ。。。それは長すぎる。。チェックしてみるね。。とコンピューターになにやらカシャカシャといれている。
ふ〜んん・・・と顔をしかめて、「I don't know why it is... but, your case was terminated...I hope it's not...」といいながらプリントアウトしたものを見せてくれる。
何、私のケース、もう末梢されてるの??
「????」な私。
おじさんはちょっと聞いてくると中に行った。そして8階のアドバンスパロールオフィスにこの紙を持っていくようにと言われた。
でた、たらいまわしの刑だ・・・。

8階に行く。そこは小さなアドバンスパロールだけのための部屋だった。係の人はここでも優しい人にあたった。
ケースがどうなっているか調べてくれた。私はオンラインでやったので、ケースが取り扱われているのはミズーリー州だという。もしローカルオフィス(ロス)にファイルされてたらここでなんとかできるが、ここのオフィスから違うオフィスにあるケースのものに関しては何もできないと。。そしてTerminateされている理由を聞くと「Uncertain reason」と書かれているだけで詳細は全くわからないとのことだった。。。
Nobody knows what's going on my case...の状態。
優しいそこの担当官のお兄さんいわく、「ここでできることはあなたが再アプライすること」と。
Terminateされているなら待っててもどうしようもない。そうとわかればもう一度アプライするしかない。ありったけのイミグレ関係の書類は持って行ったので、今アプライする準備は揃ってると答えた。
そして3階におりて、写真をとり、また8階に戻り違う部屋で165ドル支払って、アドバンスパロールオフィスに戻る。

書類は受け取りました、4−6週間かかります。と言われ、帰されかけた。
おっとどっこい。待った、待った・・・。
「4−6週間も待てないんです。なんとかショートカットする方法はないですか・・。だって、私のミスじゃないんですよ。お金だって2回支払って、11月から待ってて連絡はなし、今日だって仕事休んできてるんです。これは悲しすぎます。お願いします、スーパーバイザーに聞いてみてください」と丁寧に言ってみた。
「う〜ん。。。ちょっと待っててね」と中に入っていった。そしてまた待つことになる。3時30分になってどんどん職員はその部屋から出て行く。小さい待合室で私とセキュリティーのおじさん二人きりだったが、ついにセキュリティーのおじさんも「帰るときはここから出て行ってね・・」と、帰って行った。そんなあほな。。。なんのためのセキュリティーなん?

3時45分、やさしいお兄さんが再び出てきた。だめだったって言われたら「直接スーパーバイザーと話させてください」と言ってみようと心に決めていた。
お兄さんは「Here you go..」と数枚の書類をくれた。
それはアドバンスパロールだった。今作ってくれたという。

あーりーがーと〜〜〜〜〜〜〜。

なんてうれしい気持ち。165ドル2回払ったのは痛いが、もういまさらそれはいい。ながーい時間朝から待ったとはいえ、そんな不満も飛んでいった。
仕事を休んできた甲斐があった。。。
移民局を出たのは3時50分。ダウンタウンで働くだんなと今日は一緒にランチしようって言ってたのに、ランチという時間でもなくなった。むしろお帰りタイムの渋滞が始まってしまう。だんなに電話した。「渋滞が始まる前に帰るよ・・」と。そしてどこにも寄らずに家に帰ることにした。

移民局では、行ったついでに「グリーンカード」の状況はどうなってるかとも聞いてみた。
「1月にインタビュー受けたところだよねー。Inquiryを出せるのは180日たってからだからねー。ちょっとまだ早すぎるね。。」といわれた。でもせっかく来たし、一応これを書いてドロップオフしていきな・・と紙をもらった。そしてそこに一応「まだですか?足りない書類はもうあります」と書き、昨日弁護士さんからもらってきた書類を添付して提出だけしてきた。

労働許可があれば働ける。そしてこの渡航許可があれば、当面いつだって日本に帰れる。
グリーンカード、あったらうれしいけど、とりあえず労働許可と渡航許可がありさせすれば全然OK。
GCは今年中にでたらばんばんざいくらいに思っておこう。いや、最悪、来年の今ごろ、労働許可と渡航許可の更新するまでにでてくれたらいいよ・・・。

はー。。。。絶対今日どうにかなるとは思わなかったけど、こんな風に移民局ががんばって働きかけてくれることもあるんだね。。。



■ 2005/03/25 (Fri)  あと2週間ちょい

まだいまいち実感はないが、あと2週間とちょっとで違うユニットに移る。同じDay Shiftのスタッフはほとんどもう私の異動のことは知っている。(自分が直接話したケースもあるが、めちゃうわさって早いな〜とその情報の伝わり方にびっくりする)

私のプリセプターだったMは「ほんとによかった。あなたがここに慣れたらそっちに行きたいって言ってたの知ってるから。ほんとによかった。おめでとう」と言ってくれる。プリセプターがこの病院での私の第一の母だとしたら、第二の母もいる。なんでか私のことをよくおちょくりかわいがってくれ、私もめちゃ慕っていた黒人ナースV。彼女は「行くな・・」と言って抱きしめてくれた。
涙が出る。

異動するっていったって、所詮同じ病院だもん、いつだって会えるさ!と思い、別に全然悲しくもなんとも思わない瞬間もある。
けど、同じ病院でも実際勤務時間はほとんど自分のフロアを離れることのないこの仕事。違うフロアに行けば本当にこの人たちに会う機会がなくなってしまうんだ・・・と思い、なんか妙に寂しくなる瞬間もある。

いっぱい異動していく人を見ているし、異動がそんな特別のことじゃない気もするんだけどね。。。自分のこととなると別だな・・・。
ま、残されたあとの2週間、くいのないようにがんばりましょ!っと。



■ 2005/03/28 (Mon)  チャートのクラス

今日は一日病院でクラスをとっていた。来月中旬から病院全体が新しいチャートシステムをとりいれる。近い将来全面的にコンピューターチャートになるようで、今回の変革はその移行がスムーズに行くようにとの目的で、コンピュータチャートにより近い形での新しいスタイルのペーパーチャートが紹介された。

まる一日も何するねん・・・と思ったが、けっこう新しく覚えることはたくさんあるようで、とっぷり8時間かかった。

とはいえ、眠かったな〜。なんどオチタだろう。。。
レクチャーしてくれる人たちもあの手この手でアテンションを集めようとしているのはわかった。ゲームが途中にはさまったり、なんだかかんだか・・・。そしてコーヒーにクッキーにマフィンにフルーツと、おなかがすく暇がないほど、食べ物にあふれていた。
眠気をとるためにがぶがぶコーヒー飲んで、ふざけてるのかと思われるほどトイレに足を運ぶ。(そんな人いっぱいいたが・・)

終わったときは、ほっと解放感を感じた。
もう私はデスクワークの仕事ができない人間かもしれない。動き回る仕事のほうが体にあっていると感じる。

帰りに新しい病棟へ自分のスケジュールが出たかどうか聞きにいった。まだだったようで、その場で作ってくれた。
マネージャーといい、チャージナースといい、めちゃ優しい。今のうちのマネージャーたちが「いい人」ならばここのフロアの上の人たち「スーパーいい人」なんだけど。。。
そんな空気に甘えてバケーション希望などいきなりしてみる。
「あー日本に帰りたいのね・・。」「えー2年近くも帰ってないのー」と、なんか妙に心を寄せてくれてびっくり。。。
しかし、バケーションスケジュールのファイルを開けると、次は来年の1月までみなの希望がうまってる・・・とのことだった。

がっくり。

が、「ちょっと待って、5月の第一週に希望していた人がキャンセルしたんじゃなかったかしら・・・」と調べてくれる。
「日本に帰るには1週間じゃ短いわよね、第二週をリソースの人に来てもらうことにしてそこ2週間ってのはどうかしら・・」と。
5月だとだんなの仕事もおそらく大丈夫だろうしね・・・。
チャージナースさんに、リソースの人に頼んでもらうようお願いして帰ってきた。

まだ確定ではないが、帰国できそうな予感がする。
きっとGW時期だから航空券、高いだろうな・・・。



■ 2005/03/30 (Wed)  高齢患者ばっか

今日の受け持ち患者さんはのきなみ高齢だった。80代もしくは90代。しかもおばあちゃんばっかり。そしてなぜか白人ばっかりだったな・・・。

みんな一様にかわいい。
ボケボケな部分は非常にかわいい。はっきりしてると思えば呆けてたり、呆けてると思えばすごいクリアだったり・・・。

腰痛・骨折・関節痛などなど・・またこれが似たり寄ったりの症状でこっちも混乱しそうになった。最近準夜帯が人手不足でよーくオーバータイムできる人を探してる。しょっちゅうするのはいやだけど、とりあえず今日は明日が休みということで受けてみた。12時間、ボケボケとつきあって帰ってきた。

留守電が光っている。聞いてみた。「え〜・・・と・・なんやな・・・」とかぼそぼそっと言葉にならない言葉とわけのわからない沈黙(でると思って待っているのか?)がメッセージとして残されていた。
間違いなくうちのおばあちゃんだ!
すぐかけてみた。ワンコールで電話をとるおばあちゃん、向こうも私とわかったようだ。

「91歳になりました」ということだった。(うちのおばあちゃん、実際の誕生日と届け出た誕生日ふたつもってていまだにややこしくて覚えられない)
「最近ほんとに弱ってるわ・・」「もう90も超えると人間あきまへんな・・」「ほんまに痩せてペラペラやで・・」とマイナス発言多発。(実際体重29キロから30キロくらいということ)
・・・かと思いきや「最近油もんが好きでなー。回る寿司行ってワテはいっつも天ぷら食べまんねん。」とうれしそうに言う。

まだまだこの人、長生きしはるわ。。。
「あ〜白寿まであと8年、そんなに長生きしたらきしょくわるいでんなー」(きしょく悪いでんなー=気持ち悪いよなー)
といいながらかなり白寿を意識してるのがバレバレ。
このおばあやん、絶対なんやかんやいって100歳狙ってると思うわ・・というのが私の見解だ。

なんでかお年よりはかわいい。うちのおばあちゃんは特にかわいい。ま、なんにしても、今日は年寄りに囲まれた気がした一日だったのでした。

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