
■ 2006/04/01 (Sat) 接し方
うちのユニットは15床。各シフトRN3人とCNA2人で15人をカバーしている。RNは12時間勤務に切り替わったが、CNAさんたちはいまだ8時間勤務。いつもいる日勤のCNAさんは2人のみ。一人は65歳くらいのおばあちゃん(といって差し支えない年齢かしら・・ともかく見た目はおばあちゃんだ)そして50歳代前半のおばちゃん。
二人ともはっきりいってとってもレイジー。動きたがらないし、しゃべって食べて呼ばれたら行くという感じで到底自分から仕事を探すなんて考えたこともないだろうという感じ。
人柄はとっても明るくって大好きで、ただしゃべってるだけだとほんとーに最高の人たち。
が、仕事が関わってくるとどうもいろいろと頼むのに気を使う。例えば何か頼んだら「ふ〜っ・・・again?」とか「Oh my god...ふ〜っ・・」とかすっごいけだるそーに動く。
そういう反応は仕事に対しての反応で私に対しての嫌味な行動ではないのはわかっているが、いつもこういう態度を取られるたびに頼みづらくなる。
今日は私の患者さんで一人ベッドから椅子に移動したいとお願いしてきた患者さんがいた。特に夜間にはconfuseが見られて抑制もされている。が、日中は調子よさそうだったのでドクターにもactivity levelをあげていって・・といわれていた。これはちょうどいい機会・・と思って移動することを試みた。
管だらけで大変だったけど、Physical Therapistを呼ぶほどでもないと判断したため、CNAに手伝ってもらうようお願いした。
ら、相変わらずどうしてそういうことを今するのか・・ということを言われた。P.T.に任せればいいのに・・・と。
しかし今日P.T.はこの患者さんのところにはまわってこない。
いやトライしてみようよ・・できなかったらできなかったで・・・ということで、無理無理移動してみたが、実際きつかった。
それで(だから言ったこっちゃない・・・・)といわんばかりの言葉の反撃を受けた。
これだけじゃない。長くいる患者さんに対して全然体拭いてあげない。患者さんから何か言われない限り自分から何かしてあげるという姿勢が全くない。
数々のことでずっと私のストレスがたまっていたのが爆発した。
マネージャーに言おうか・・とも迷ったが、これはちくることになるし(って何度も他の人にもいわれてもなおってないのが彼らなのだが・・)、いい関係性をもってるからこそ、私からだと彼らに言えるんじゃないか・・と思った。
それで決意した。
彼らと話そうと。
彼らの仕事に対する態度はずっと疑問をもっていたが、いい関係性を壊したくない・・とそれだけでずっと我慢してきたというのは実際私の中にはあった。
しかし、うまくいえば通じる・・と信じて二人だけが休憩室にいるときに、ちょっと話していいか?と割り込んで入っていって、話始めた。
二人とも私がいわんとしてることを察知した瞬間、ものすごい剣幕で攻撃してきた。
が、「違う、違う、ちょっと待って、関係性を悪くしたいと思って言ってるんじゃない。ただ、こういう風に私が思ってきたということを伝えたい」と、こっちも必死になった。
が、60歳代の方は「私はいつだってあなたに言われたことを拒否したことがない!いつ私があんたに何をしたというの!言いたいことがあるなら勝手にスーパーバイザーに言えばいいじゃない!」と、猛烈な口調で言われた。
「違う違う、それは私のやり方じゃないんだ。そりゃスーパーバイザーに言うほうが簡単だけど、こうして直接言えると思ったから意を決して言ってるのをわかって欲しい」と私もかなり声が上ずりながらであったががんばった。
若いほうのおばちゃんは最初とっても防御的姿勢だったが、徐々にわかってくれ、「そう思ってたんだったら遠慮しないで言ってほしい」とか「実際ここにいる患者さんたちはヘビーできちんとやってると体がもたないというのがある。他の病棟からCNAはここに来たがらないでしょ。でもそういうのは私も謝るわ・・」と歩み寄りを見せてくれはじめた。
反対に60代のほうのCNAは「言いたかったらマネージャーにどうぞ!」とテーブルを叩いて部屋を出て行った。全く人の話しを聞こうともせず。。。。
悲しかった。
難しいな。。。
RNとCNAの関係性。CNAはRNの指示のもと動くという立場だけど、この60代のおばちゃんはここに15年以上もいる人。私なんてただのガキなんだよ・・。
いいことに今日から1週間くらいこのおばちゃんと顔をあわせない。
すごく気分に波のある人だから今日のこの反応も全く予想外というわけでもない。(でも私に対してこういう態度は初めてだったけど・・)
次に会ったときどう接しよう・・。そして向こうはどういう反応をするんだろう・・・。
あ〜、難しいな・・・。
■ 2006/04/02 (Sun) 旅の前に・・
明日月曜から5日間、念願の小旅行。初のフィラデルフィア訪問だ。日本からの知り合い(先輩というか先生というかの存在の方)に会いに行くのと、ウェブで知り合った友人に会いに行くのと、そして偶然発見したWoundの学会がフィラデルフィアであるとのことでそのセミナーに参加するのと、目的は複数。そもそもフィラデルフィアってどこなんだ??というところから始まり、旅の日程を決定するまで時間はかかったが、なにかと旅の準備はわくわくする。国内旅行とはいえ飛行機で片道6時間弱かかるし時差は3時間あるし、これって日本から出発するとしたらけっこうアジア方面にいろいろいける距離よね・・なんて思う。
さー旅に出るぞー!!
というモードでいたはずの今日なのに、なんだか精神的にまいったな・・・という休み前勤務となった。
自分の患者がコードブルーになり、25分蘇生を試みたが結局亡くなってしまった。
長くうちの病棟にいて、状況が悪くなったり、でもまたよくなったりを繰り返していた67歳の白人のおばあちゃん。とってもsweetな人で、そしてだんなさんとも超ラブラブ。だんなさんはジョークばかり言う人で、アメリカンジョークに対し理解困難を示す私にも何度も説明を繰り返してでも自分のジョークをわからせようとする面白い人だった。私はこの夫婦のことがとっても好きだった。
そもそもお腹に大きながんを抱えて繰り返し手術を受けていた患者さんで、遅かれ早かれ、命はそう長くはない状態だったが、でもまさか朝しゃべっていたのに、次に部屋を訪れる時にはすでに息がとまってるとは考えがたかった。
私が最後に部屋を訪れたのが8時50分。ドクターが患者の部屋を訪れて呼吸がとまってるのを発見してコードブルーボタンをおしたのが9時30分。私はそのフロアの放送にて彼女がコード状態におちいってるのを知った。
その40分の間に息がとまってしまってたのだ。
コードブルーチームとともにずっと心臓マッサージを繰り返した。挿菅もされ、一時はリズムが戻ったかのように見えたが、それは刺激によるもので、結局ドクターが発見した際にはすでに死亡していた状態で、一度も戻ることなく帰らぬ人となった。
25分間あきらめずみんな一生懸命やったが、もう無理だね・・という判断からドクターが「9時56分」と死を宣告してコードブルーチームはその後さーっと引き上げて行った。
9時20分ごろなんとなく気になって彼女を見に行こうか・・と思ったが、9時30分に彼女の血糖チェックする予定だったので、あと10分あるわ・・とパンでもつまもうと、私はそのとき休憩室に入ってしまった。
自分がもしこのとき、彼女を見に行ってたら・・10分早く彼女を見に戻ってきていたら、なんとか息を戻せてたかもしれない・・・そう思うとなんだか罪悪感というか後悔というかが止まらなくって、涙がとまらなかった。
ごめんね・・ごめんね・・・気がついてあげられなくってごめんね・・・という思いですごくつらくなった。
Sweetなだんなさんが20分ほどしてやってきた。彼も体に障害のある人で歩行器でゆっくりしか前に進めない。でもその姿は独特で毎日同じ時間帯に訪れる彼の姿は恒例となっていた。いつも彼女の部屋に行く前に笑顔で「How is she doing?」とナースたちに聞いてくる。
今朝の彼は亡くなったという情報を知って来ているくせに、私にいつものように「How is she doing?」と聞いてきた。
私が答えられずただ首を振ると、大きい体をしたおじいちゃんが大泣きで崩れた。
とっても悲しかったと思う。
だんなさんの姿を見て、私もいっそう悲しくなった。
つい昨日の夕方、私に時間があったとき、この患者さんにシャンプーしてあげたりしながらこのだんなさんと3人で談笑していた時間を思い出した。
新人ナースの頃は患者さんが亡くなってよく泣いたなーと思う。が、経験を重ねると、そしてとくに死をある程度予想している状況で起こる死だとけっこうクールに対応できるもんだな・・と自分なりに思っていた。
が、今日のは、この患者さん・そして家族をよく知っていたという状況と、死を予想していなかったという状況と、そしてナースとして自分が至らなかったんじゃないか・・と自分を責める気持ちが重なって、精神的にダメージがきつかった。
気丈なふりをして死後のペーパーワークや連絡などをすませ、今日1日の勤務を終えたが、帰りの車でも家に帰ってからも思い出すたびになんだか涙がしばらく止まらなかった。
しんどくてもたいていいつも楽しいと思って仕事をしているが、今日ばかりはつらい仕事だと思った。
気分転換が必要だな。。
そうだ、旅にでるんだった。グッドタイミングかもしれないな。
■ 2006/04/03 (Mon) 4月3日のこととして・・・
書いてる今は実は4月6日の夜。○○先生宅にお邪魔してかる〜いちっちゃ〜い日本産のパナソニックの高性能パソコンよりお届け。
旅は4日目も終わりに近づき、いよいよ明日LAに帰る日。
楽しい毎日を過ごしております。が、一応日にちを追って初日から書いて行きます。
朝だんなに空港まで送ってもらう。チェックインの段階では定刻出発になっていたのにチェックインしてからDelayの繰り返しで結局LA発が1時間40分遅れとなった。
ユナイテッド航空でフィラデルフィアまで直行。向こうの天気は雨と機内できく。飛行時間が6時間近くあるくせに食事は有料とはなにごとぞ!!
5ドルで4種類から選べる。・・といっても4種類とも見事ジャンクフード。隣の人がツナの缶をあけて食べているのを見て犬のえさか?と目を疑った。
まあ人のことはいいとしよう。私は出る前にマクドでしっかり食べていたし、かばんにはトレーダージョーズで買ったおいしいお菓子が入っていたのでそれで満足。
○○先生と待ち合わせしていた時間には到底会えず、今日のところは会うのを延期。私はホテルへと直行した。
なんて寒いんだ、フィラデルフィア。
15時からチェックインできるはずのホテルなのに20時半でまだ清掃が終わってないとかいわれるし・・・。一応いいホテルなんだけどな。。
で、30分ほど無駄に待たされたあげくやっと部屋に入ろうとするとカードキーが使えない。
まるで使い方を知らない人と思われてもださいので何度もトライしたが、結局使えず。やっぱりプログラミングがおかしかったとのことで、フロントまで行ってやりなおしてもらった。
今日のところ、ここまでいいことなしな感じ。
暗くてフィラデルフィアがどんなとこかまだわかんないし・・
明日からに期待!
しかし時差3時間で寝る時間だけどまだ眠くないぞ。。
こうして初日はまさに「移動」のみで終わった1日だったのでした。
■ 2006/04/04 (Tue) フィリー2日目
ま、2日目といっても実質初日。
ホテルの中は暖かい。窓から階下をながめるとコート着て背を丸めて歩いている人たちが見える。かなり寒そう。。
しかし私には服がない。。。
なんてこの場に及んで言うことではない。
今日は午後は○○先生(なんて書けばいいのかわからない。私の中ではこの先生の名前をいいながら○○と書いているんだけどな。。これが相手に失礼にならなければいいのだが・・・)と会う日。○○先生は日本からご家族が来られていて、まさに私がご家族の観光に合流させてもらう感じ。
・・というわけで、まず午前は一人で行動。
全く地理がわかってないので、朝食でも食べながらガイドブックで行動計画を立てようと決める。
そしてホテルのロビーにあった朝食バッフェなるものに惹かれふらふら入る。チップ込みで20ドル。朝から一人でぜいたく〜。。。だってオムレツ目の前で焼いてくれるんだもん。。この誘惑にはどうしても勝てなかった。
一人でビデオカメラもってでかける勇気がなく、この日はデジカメでの撮影。フィラデルフィアすごい!撮るところありすぎ。歴史的な建物、ヨーロピアン調の建物の多いこと。そしてあちらこちらにいろんな銅像。興奮してとりまくり。ものの2時間位の間でバッテリーが少なくなってきたと警告サインがでて驚き。
街行く人を見ると白人と黒人ばっかり。つまりメキシカンやアジア系がだんぜんLAより少ないと感じた。
地図では街の距離感がよくわからなかったが、思ったよりも短時間でいろんなところが周れた。
午後には先生ファミリーと合流して美術館へ。気さくなだんなさんと大阪弁ばりばりのお子さん達で気持ちがなごんだ。
アートの才能がゼロな私には美術館の評価は全くできないが、有名な美術館ということと建物が立派ということで、そこに行ったという事実で十分満足。
夕方にはまた先生たちとお別れし、その後一人観光タイムとなる。
ちょうどホテルの近くの科学博物館のようなところで人体フシギ展みたいなものがやっていたので入った。これと全く同じものかどうかはわからないが、前にLAであったのを行きそびれたので、ちょうどいい機会だと思った。亡くなった方々の本当の人体を使って解剖を紹介しているというもの。IMAXシアターも併設されており、人体のことについて約1時間映画があった。大画面の大音声という中で最初の20分位寝てしまった私。あ〜、見そびれた。。。後半40分がとっても楽しかっただけに前半どんなだったんだろう・・と気になる。
そういえば昔、ユニバーサルスタジオのターミネーターの3Dの映画上映中も私は寝た。
何かポイントを間違えてる。
ま、そんなこんなで2日目も終了。ホテルでくつろぎながらタイボーやろうとしたけど一人ではそんなテンションにもなれず、腹筋だけ軽くやって眠りについた。
■ 2006/04/05 (Wed) フィリー3日目
この日も朝からシバレタ。天気予報では冬が戻ってきたと。
そ・そんな・・・。
フィリーにいる複数の人が「ほんとここ最近(私が来るまで)は暖かくなって春になってきてたんだけどね・・」と言っても私の印象は「寒かった」の一言につきる。・・・といっても日本の本格的な寒さに比べれば全然まだまだ暖かいほうなんだろうけど。私の体はLAの気候にすっかり甘やかされてしまっている。
そんなこんなで今日はウェブで知り合った祐さんに会う日。実は面と向かって会うのは2度目なのにお互いウェブを持ってて互いの思考回路が大体わかってしまっており、なんだか全然2度目という感じがしなかった。会ったすぐからボケつっこみが始まった。(ちなみに彼女は関西出身ではないのに、なぜかそのコツを心得ておられる)いつもは人をつっこむ方だという祐さんだが、なぜかこの日はつっこみどころ満載でゲラゲラ楽しませてもらった。
他にもウェブやメールを通して知り合いになった人はいるが、またしてもウェブってすごいな。。と思う機会となった。
寒かったのでほとんど車内から観光ということにしてもらった。途中雪がちらちら降ってきたりした。雪なんて久々に見たので感激。。
フィリー名物の「チーズステーキ」なるものを食べたいとリクエストした。私の予想ではステーキの上にチーズがのってる贅沢な食べ物かと思っていたが、それはシンプルでお値段もお手ごろなサンドイッチ。ホットドック型のパンに薄切りビーフを焼いたものにチーズをのせ、玉ねぎが甘くなるまで炒めたものをはさんであるというのがこのオーソドックスなスタイルの様子。
おいしかった。お腹がいっぱいになった。
連れていってもらったところは大行列で、地元でも大人気のお店だった。
食事の後、市内観光はほどほどに切り上げて祐さんの住む郊外へと車で連れていってもらった。
途中黒人街があり、右見ても左見てもどこ見ても黒人というエリアがあった。LAでも黒人の集まるエリアはあるが、ここまで密集している印象はない。
黒人の住むエリアはどこか廃墟な感じがし、道にごみが散らばっていたり、清潔な印象はない。それはどこも同じみたい。差別するわけではないが、生活のレベルの差は見て感じられる。
そこを抜けるとまたきれいなエリアが広がる。雪が降るからか、とんがった屋根のおうちが目にとまる。レンガ造りの素敵なおうちが立ち並ぶ静かな住宅街だ。そこに祐さんの一軒家があった。
同じような年の人で自分だけの経済力でアメリカに一軒家を所有している友達はそうそういない。どんな広さであれ一軒家を持ってることに大して彼女に「男前」「男らしさ」(!?)を感じるのに、この家の立派なこと。特にバックヤードの広さには驚いた。犬が喜び庭駆け回るの庭はこれくらいなくては犬も満足しないのかもしれない。その広さに満たされて運動のいきとどく環境のここんちの2匹の犬はそれはそれはしゅっと締まった体つきでかっこよかった。
激しい犬がいるよとは聞いていたが、ほんとに元気がありあまってる若い犬たちでそのエネルギーちょっとわけて・・と思うくらい激しかった。
しかし全然噛まないし、すぐになついてくれてめちゃかわいかった。
どうしよう・・本当に犬が欲しくなった。
フィリーに住むほかの日本人ナースでAちゃんにも時間をあわせてもらった。彼女の行く大学院(祐さんの卒業校でもある)や祐さんの働く病院を案内してもらった。
働く病院では白人のナースがほとんどで「すごい、アメ人ばっかりと働いてるんだね・・」と漏らした私の言葉に彼女は驚いていた。
タガログが飛び交う状況に彼女は出会ったことがないという。フィリピーナがほとんどいない医療現場って信じられない!!
今度LAでこの構成人種の差をお見せしますよ!
その後スーパーで買い物し、祐さんちにまた戻る。
簡単な料理をして夕飯の仕度。できあがったものを見ると酒の肴ばかりになっていた。ビールで乾杯かと思いきや、一人My泡盛をもってきて乾杯をする祐さんはやっぱり男前だと思った。
そしてエンエンと夜中までしゃべり続けた。
この日記、長くなってきたが、これでもほんの一部しか書けてない。それくらい濃い濃い1日だった。
この場を借りて・・
祐さん本当にお世話になりました。素敵な客間に泊めていただいた上にいろいろとごちそうになりました。Aちゃんも忙しいスケジュールの中、時間をあわせてくれてでてきてくれてありがとう!次はLAで!
■ 2006/04/06 (Thu) フィリー4日目
今日はフィリーで行われているWoundの学会に参加する日。いわゆる一般演者による口頭発表やポスター発表などはこの学会トータル4日ある中の3・4日目に行われるようで、私が参加したのは学会初日のPre-Conferenceとよばれる1日セミナーみたいなものだった。7人の先生方がいろんな角度からWound Careについて次々と講演するという形。
対象はナースばかりじゃない。理学療法士(こっちでは理学療法士がWoundのDebridementをしたりするので)や医師たちも多く参加されていた。
皮膚科のドクターの話は細かすぎてまたスライドが見えないくらい字でつまっていて、渡された資料も印刷状態が悪くて退屈な感じがした。
が、それ以外の先生方の話は(あれ?もう1時間たったの??)(あれ、もう終わり?)というくらい面白い内容だった。
聞いたことある話は多い。どんなセミナーやクラスに出ても内容がかぶることはしょっちゅう。でもそのたび、その知識をReinforceできるような気がするし、わかってても(なんとなく・・・)から(うん、ちょっとわかったかも・・)と少しずつ知識をアップグレードできるような気がする。
あるドクターの講演ではいろんなWoundの写真を見せながらこれは何よるWoundか?というのがあった。静脈性の潰瘍か、動脈性による潰瘍か、皮膚がんの一種か、骨髄炎を起こしているものか・・・など。ふむふむ興味深い。
あとはナーシングの先生による講演でPressure Ulcerによる訴訟問題は後をたたない話。訴訟に対応するきちんとしたチャートの仕方などを紹介。知ってはいるけど、これまたふむふむと思えた。
あと、新たな情報としてはNPUAP(日本語では褥瘡諮問機関とかいうんだったっけ?)がDeep Tissue Injury(深部組織損傷)の分類基準を作ろうとしているという話しがあったり・・・。
あと、学会特有の業者さんによるブース展示コーナーもあった。いろんな試供品や資料をもらうのは楽しい。カリフォルニアから来てる人はほとんど見ないようで複数の業者さんたちに驚かれた。(名札にどこの州からの参加か書かれてあるためばれる)
学会自体が初日ということもあり、Registrationや資料・ランチの配布など、いまいちスタッフの足並みが揃ってなくていらいらさせられる場面が多かったが、講演、特に午後からの講演がよかったので、気持ちよく1日を終えることができた。
まあ、いろいろともりだくさんだったわけです。
そして最終日の夜、今宵は○○先生宅にお泊りというわけで、セミナー終了後、電車に乗ってそっち方面へ移動。アメリカに来てから電車というものに乗りなれてないので早めに駅に行ったのに、見事逆方面に乗ってしまい、あわてて次の駅で降りたり、小さなハプニングを一人で起こしていた。
でもちゃんと先生には会えました。
半年研修で日本からこちらに来ている先生と話すとなんか日本とつながったようで面白い話がいっぱいだった。あの先生はこうしているとか、あの人はこうなったとか・・・、がんばってる人たちの話しを聞くと(自分もがんばらなきゃ!)と背筋がピンとする感じ。
ベッドに入っても話はつきないまま、かなり夜中までしゃべりとおして急激に私は眠りに落ちた。
■ 2006/04/07 (Fri) フィリー最終日
○○先生の研修されている大学へと徒歩で連れていってもらった。気温があがるとの予報だったが、朝から小雨。そのためかやはり肌寒かった。
寒い、寒いとしつこいが、「寒いですよー、こっち・・・」と、こうして西との違いを感じているのを私は楽しんでいるのだと思う。
大学のカフェテリアでブランチ。食べたかったパンケーキを食べれてご満悦。
そしてあっという間に空港へ向かう時間となった。
フィリーの空港はとてもきれいな感じでちょっとしたショッピングやお茶もできるようになっているので、フライトまでの時間もそう退屈せず過ごせた。
座席に座った瞬間(飛行機が離陸する前)から3時間、すごい勢いで寝てしまった。上向いて口をぽかーんと開けて寝ている自分に気づき、何度も口を閉じなきゃ、閉じなきゃ・・と思うんだけど、また開いてるのにふと気づき・・という繰り返しだった。ま、おかげで飛行時間が短く感じあっという間にLAについた。
忙しいのに仕事を抜けてラブリーハズバンドが空港に迎えに来てくれていた。私を家に送ってまたすぐ仕事に行っちゃったけど。。。ま、この時期忙しいのわかってるから私が家にいないでもいいだろう・・・と思ったのがこの時期を選んだメインの理由なんだけどね。
しかし旅は面白い。
先生に会っていろんな日本の話を聞けたのもすごいいい刺激。そして祐さんみたいにこっちで大学院出てる人、Aちゃんのように今それをがんばってる人をみて、私もがんばろう!という刺激になった。さらにセミナーに出て、Woundのこともっと知りたいという思いが自分の中にあることに気づいたし、勉強したいな・・と思った。
一人でうろうろする時間もなんだかとても楽しかったし、初日はこの旅どうなることやら・・と思ったが、結果的にすごく充実したいいショートバケーションとなった。
お世話になったみなさん、本当にどうもありがとうございました。
Philadelphia、いいところでした!
・・・というわけでフィリー旅行記はこれにて終了。
■ 2006/04/08 (Sat) Leech Therapy
バケーションをとってフィリーに行ったわけじゃなく、休みをぎゅっとくっつけただけっだったので、今日からいきなり仕事なのよね。
自分の受け持ち患者じゃなかったんだけど、Leech Therapyをやってる患者さんがいた。Wound Care Unitに移って1年で初めて遭遇した。
受け持ちのナースに、やるとき呼んで呼んでー、見たいみたいーと、ものすごい好奇心にかられる私。
Leech Therapy(ヒル)とはMaggot Therapy(うじ虫)と並んで生き物を利用して行うWound Therapyのこと。昔はうちのユニットでもよくやってたらしいけど、それはOld Fashionということで、今の主流ではない。というわけで文献も読んだことあるし、写真も見たことがある、でも本物は初めてだった。
この患者さんはVascular Occulusionをおこした状態の人。ヒルを虚血をおこした部分において、血をすいあげるかたわらヒルの唾液が化学物質をもっていて、血管を押し広げる役割があるという。
最初は黒い小さなみみずみたいな形をしたものが、どんどん血をSuckして1-2時間後にはぶくぶくにでかくなり、ヒルがお腹がいっぱいになったら終了というもの。
うようよ〜と体をねじらせて血管を探して吸い付いていく姿はけっこう気持悪いものだった。
そしてこの患者さんの場合、それがどの部位かというと乳首。
31歳未婚の女性で豊胸術を受けたあとの合併症として起きたらしい。乳首の周りから黒ずんできて虚血を起こしてあわててドクターオフィスに戻ったというストーリー。
血管縫合がうまくいってなかったんだろう。あるドクターのノートにはもとには戻らないができるだけSaveするようにすると患者に説明したと書かれてあった。
Hyperbaricといって、高圧酸素療法も受けている。
豊胸術をやっただけあって、立派な形をしたおっぱいだったが、両方の乳首のまわりに各2匹ずつヒルがくっついてる姿はどんな男性もあまり見たいとは思わないだろう。
なんだろうな〜・・・また考えされられる。
この病棟ではこういう系の患者さんにも出会う。
乳首ピアスで感染して胸がパンパンに膨れ上がった若い女性のケース、おち○ち○を大きくする手術のあと感染してその一部が腐った中年男性のケース・・・
今日の教訓。
「親からもらった体をむやみやたらにいじらない」
かな・・・。
ま、こういうケースはまれで、逆にPlastic Surgeryにてコンプレックスが解決されて気持ちが明るくなり人生が好転したケースはいっぱいあるだろうから、頭ごなしに否定するわけじゃないんですが・・・。
稀にしかおきないリスクを起こした人たちが集まってくるようなところで働いていると、そのリスクがすごいハイリスクのように感じるのです。
■ 2006/04/09 (Sun) 桜
日本の友達が桜を見に行ったと満開の桜の写真を何枚かメールに添付して送ってきてくれた。
いや〜、感動した。
桜たちの力強さを写真から感じた。
桜に感動するって、私、やっぱり日本人かもな。。。
今日日曜はお休み。
化粧もせずに1日家の中、家の周辺で過ごすこととなる。
たまにこういう日があるのもいい。
知り合いでうちのコンドミニアムに投資物件としてユニットを持っている夫婦(その人たちは違うところに住んでいる)がいるが、たまたま来ていたようで出くわした。
立ち話が長くなってきたのでうちに来てもらった。
久々にゆっくり話す機会となっていろーんな情報を得た。メインは「資産投資」について。
もうほんとに私ったら全然不動産の知識がない。いや、素人なのはわかっているが、ど素人だな・・と。
おバカな質問の繰り返しで経済的なIQが低いと言われる始末。ははは。。
基本的に「お金」とか「家」とかの考え方が違うと思った。
あくせく働いてお金を儲けるのはバカらしくないか?と。
彼らの生き方は今の自分の生き方とはリンクしないが、ほ〜う、ほ〜ぅ・・・とすごいな〜と思える生き方。
そして自分もその年くらいになったらそういう「ゆとり」のある生活をしたいなーと憧れる。
あと、彼らは人工受精もその昔試みた人たちで結局お互い正常といわれながら子どもができなかったケース。いろいろな経験を話してくれ、いろいろ私の状況もわかってくれる。
結局何%のチャンスとか言われながらも当人にとっては0か100かしかないと。
でも、40歳代後半にしながら全くもって10歳くらい若く見えるし、何より夫婦仲がとってもいい。旅行もいっぱいしてるし、ダブルインカムと不動産でお金にも困ってない。
うん、こういう人生も楽しそう。子どもができなかったら私もこんな風になりたい!って思う。
あとはトムハンクスの出ているエイズが主題の「フィラデルフィア」を借りてきて見る。
内容は暗いが、風景がまさに自分の行ったところー見たところー・・というので昔に見たのとは違う感じで見れた。
ま、そんな感じの日曜でした。
やっと日記が追いついた。。
■ 2006/04/10 (Mon) なまった体
今日もまた新しいトラベラーズナースが来るということで、私がオリエンテーションをすることになった。私よりも経験者スタッフがいるのになんでやねん・・・と思いながら、まあ別にいいですよーと引き受けたが・・・。
来たのはアトランタからの白人ナース。50歳代で、他の病院ではスーパーバイザーしてただとか・・。
キャリアはある人なので、オリエンテーションってたって、簡単だよ・・と言われ、そうだと思っていた。
しかし結果、やりにくい人だった。
何説明しても「それ知ってる」くらいの顔つきなので(あー、この人わかってるんだ・・)って思っちゃう。こっちにしたらどこまでわかってて、どこからわかってないのかが彼女のリアクションからはさっぱり検討がつかない。
患者のサマリー渡したところで一瞥しただけで、食い入って見るわけでもなし、何か質問してくるわけでもない。
何かわからないことがあったら何でも質問してくださいと言うと、「患者ケアについては私問題ないから・・。物品の場所とか、チャートの仕方とか、私が使ったことのない器械の使いかたを教えてちょうだい」と言われた。
だからといって、私にずっとくっついてくるわけでもなし、休憩に行くといったら10分では帰ってこない。ランチに行くといってもとうてい30分では戻ってこない。
どうなってるんだろう。。。
経験者を扱うのは難しい。ま、今の私には新人だってうまく扱えないだろうけど・・。でもまだ新人の人に説明するほうが、わかってないだろうと思われる部分がおよそ想像できるので簡単な気がする。
初日の彼女への印象。
「やる気のないナース」
とみた。なのに給料べらぼうにいいもんなーあの人ら。で、住宅費だってすべてエージェントもち。マリナデルレイなんて遠いのに、住みたいからっていって、あんないいところにただで住んでるっていうしぃ。。。
仕事の後はなんとまる10日ぶりのタイボー。
すっごい張り切ってはいたものの、タイボー初めてから10日間抜けたことがなかったからかなり不安もあった。
案の定、張り切ってる割には空回りというか、みんなと違う動きしていたり、何もないところでつまづいていたり、なんか体が思ったようについてこなかった。体の反応がなまりきってしまったようだ。先生にも「どうした?」と笑われる始末。
いつもの顔ぶれには「ひさしぶりー」「しばらく見なかったね」「逃亡してたの?」といろいろ声かけられた。
自分の居場所があるっていうのはうれしいもんだ。
しかし、筋肉の疲労が強く、膝が笑うという言葉があるが、膝どころじゃない。。今、体全体の筋肉と関節が笑ってる感じ。うるさくってしょうがない。。
■ 2006/04/11 (Tue) そんなとき自分なら・・
前に患者さんで、交通事故で腕を切断することになった韓国人の男の子の話を書いたが、全く同じような状況の患者さんを受け持った。
年は50代後半。隣のレーンからいきなり車線変更してきた車に横からぶつかられて、自分の車が横転し、車に左腕をはさまれたケース。
そしてその人の命を救ったのは、なんとうちの病院のナースディレクター。(一番偉いナースとでもいうのか、地位が高いナースとでもいうのか・・日本でいう看護部長みたいな地位の人)彼女がたまたま事故現場後方にいたらしく、車をとめ、救急車をよび、止血作業をすばやくしたらしい。
複雑骨折でうではぐちゃぐちゃ、だけど、早急な処置のおかげで血管の再生がはかることができ、韓国の男の子のように切断に至らなくてすんだという。
さらに、その際、すぐに助けが来なければ出血多量で命さえ危なかったという話し。
今はまだExternal Fixation(日本語でなんていうかわからない)をつけて骨の固定をしているが、Open Woundもかなりきれいになってきている。ごぼっと穴があいたようにえぐれている部分は今後大腿か背中の筋肉を皮弁して閉じる計画。
このナースディレクターだが、もちろん臨床サイドのことはしない。大きなイベントで代表してしゃべってるのを見るくらいで、病棟にもめったに顔を出さない。
たまーに見かける機会はあるけど、そのときの彼女の笑顔がなーんかいつも作り笑顔に見えて、どうもうさんくさいという印象があった。なんていうんだろう・・選挙活動してる人みたいな笑顔なんだなぁ。。
そしてたいていの人がこの人のことをいいようには言わない。まあ、嫌われ役になっちゃうのはある程度は上に立つものの運命みたいなものかもしれないんだけど。
が、この事件で私はかなり彼女を見直した。
見直したなんて、私ったらすごく偉そう。。。何様?
ま、いいとして、すごいなー、この人、そんなとき自分だったらきっと同じことできてないだろうな・・・って思うと彼女を尊敬してしまう。
目の前で事故が起きた、もしくは事故直後にそこに居合わせたとなったさいに、自分がそこで立ち止まれるだろうか・・。とくにこの場合はフリーウェイだったわけで、ある程度のスピードで走っているところをわざわざ路肩に車をとめて、どうなってるか状況もつかめない事故の中を助けにいく勇気があるだろうか・・。
患者さんが言った。「ぼくが事故後ふと気づいたとき誰かがぼくに声をかけてくれたんだ、それが彼女だったんだ。彼女がこういったんだ「I'm an RN. I'll help you.」と・・。彼女が天使に見えたよ。。」と。
素敵な話しだ。
病院の外にいるとき、どこまで自分を職業人として見れるだろうか・・・。外では職業人でいる必要なんてないって思ってたけど、すばやい処置で人の命を助けた、彼女の介入によって腕をなくさずに済んだ・・こういうのを間のあたりに見聞きすると、なんか考えさせられる。
必要なのはRNとしての知識や技術よりも行動できる勇気だろうな・・。
しかし、この話し、新聞にも載っていたが、彼女がEX-NURSEとして紹介されていた。今は管理部門で臨床部門じゃないから・・という理由らしいが、彼女もまだナースなのにね・・。なんだかおばあちゃんに助けられたみたいな印象の文章になってて、これはないよな・・と思った。
■ 2006/04/12 (Wed) 休みの日
もちろんタイボー三昧の日。だけど、やる気はあるのに体がついてこん・・って状態。スタミナよ、どこへ行った。。。
ま、フィラデルフィアで増えた分の体重は戻ったのでよしとしよう。
ちょっとWound Care NurseのCertificationとること、真剣に考えよう・・と、思い立ち、前からコピーしてあった書類に目を通す。
何が必要なのか・・。
どうすればとれるのか。
何をそろえないといけないのか・・・。
もう頭の中がごちゃごちゃしてきた。
同じ資格をとるのに、いろんな方法がありすぎて・・。どれが自分にとって一番いいのか・・。
お金のこと、時間のこと、そしてどれが学びやすい方法なのか・・とか考えると、答えがでない。
そしてアプリケーションフォームやそろえるものを見ていると、また日本の学校との書類のやりとりをしないといけないっぽい。
あ〜。。。
今日は雲をつかむかんじで終わった。ギブアップ。。。
こんなことそういえばNCLEXのときにも思ったな〜・・。
そして今やメールとかくれる人に偉そうに「大変ですが、ひとつひとつこなしていってください。きっと道は開けます。」なーんてアドバイスしてるし・・。
あ〜・・いや、自分のこととなると大変だ。
前が見えない。
疲れた。
寝よう。
あ、そうだ、これだけは日記に記しておきたい。
今日4月12日は記念の日。今日でアメリカ来てまる5年。
早いなー・・・。あれからもう5年か。
なーんも変わってないような、なんかいっぱい変わったような・・・。
来た時はだんなのビザで来たわけで、そのビザの期限がちょうど今頃までだった。日本を出るときは「5年したら戻ってきます」と言ってたのにね・・・。まだまだこっちに居てそうな予感・・。結果的に大うそつき。ま、いいやね。その場その場で道は変わるということで・・。
しかし本来このころに帰るんだったんだ・・・。
■ 2006/04/19 (Wed) Scabies VS Lice
あら知らない間に1週間も日記が飛んでてびっくり。なんでだろ・・・。
ま、いいとして、またもや衝撃の患者さん登場。
ホームレス。結核疑いでうちのフロアに昨夜入ってきた患者さん。
Scabies(疥癬)があってとにかく汚いし臭い!と申し送られた。
こんな患者さんを受け持つなんて、私ったら大当たり・・・
結核疑いがある患者さんの部屋はNegative Air Pressureという空調システムがOnになり、部屋が開きっぱなしになるとアラームがなるというしくみ。
つまり患者さんは3日連続して痰の検査をし、3日ともマイナスとでたらクリア。1回でもプラスと出たらHealth Departmentと連絡をとって結核の治療をはじめることとなる。で、そのクリアとなるまでの3日間は例え結果的に結核じゃなくても完全に隔離となる。
そういう患者を受け持った場合、医療者は空気漏れの少ないマイマスクを着用して患者ケアにあたらないといけない。
これが面倒くさいのだ。
朝、患者の部屋をのぞいた。
オウムの麻原のようなひげにぼさぼさの髪の毛。
そしてどうして何も着てないの??そう、なぜか"すっぽんぽん"
そしてぼりぼりと陰部をかきむしってるざま。。を小窓から拝見。。
うわー、この人と12時間付き合うのか、、、気が重い。。
極力入室を避けようと決めた。
1回目の入室。
うわーなんか虫が彼の枕の上を歩いてるし・・・。
とりあえずその小さな動いている虫を2匹ほど滅菌カップにキャッチ。
これが疥癬???見たことないからわかんない。
他の人に見せる。
これはLICEだよー、と複数の人に言われた。へえ〜・・・これがシラミなんだ。。
ScabiesとLiceの違いも知らなかった。例え日本語でも私しゃ知らんわ・・と思った。
ま、何にせよ、この2匹は今日の病棟のペットとなった。
頭シラミ用のシャンプーをオーダーする。薬局がもちあわせてないという。手に入るのは明日になるとのこと。。
とにかく自分にくっついて欲しくないけど、患者に触れなきゃいけないわけで、もう完全装備して彼の部屋に挑む。
その姿、写真でお見せしたいくらい。
ガウン&グラブ&マスクはもちろん、頭にはキャップ、足にはシューカバーで完全装備。が、キャップが手に入るまでは枕カバーをかぶって首にはバスタオルを巻いていた私。
かなり笑える姿。
蜂の巣に蜂蜜でもとりに行くんかい??って格好。
シャンプーがないといわれてもこの不衛生な状態で明日まで待てない・・ということで、麻原(誰やねん・・)の了解を得て、髪の毛とひげをばっさり切らせてもらうことにした。
看護助手さんと私ではさみにひげそりを使って、すべての毛を根こそぎそぎおとした。剃ってる途中、また2匹ほど生きてるシラミを発見して、ぎゃーぎゃーいう私。
この病棟にきていろんなものを見る。ウジ・ヒル・そしてシラミ。
いや〜すばらしい環境。(笑)
他の職種より時給が高くて何が悪い・・と思う瞬間。
今15床のうちActiveな結核を持ってる人が二人いるし、Woundの患者さんだって、隔離が必要な感染症の人がほとんど。
まじで自分をPROTECTすることを知らなくてはほんといろんな病気を家や自分に持ち込むハイリスクな仕事だと思う。
あ〜、体中がかゆいよ・・・・。
なんて言ったら明日から友達が減りそうだから痒くなんてないわ!と言い切っておこう。
ボリボリ。。。。
■ 2006/04/20 (Thu) 何が中心?
そろそろ始めて半年になるタイボー。
生活の中心がタイボーになってる私。。。
ま、とりあえずの優先順位は仕事なんだけど・・。(まだ仕事さぼってまではタイボーには行ってない。けど、仕事さぼってタイボーに行ってる人はスタジオで見かける)
それくらいaddiction効果あるんだな〜・・・。少なくとも私には・・・。もちろんみんながみんなそう感じるわけじゃない。痩せたい!というだけのモチベーションじゃ体重の減りが数字に表れるまでにギブアップする人もいるようだし、何でもそうだけどやっぱり楽しめなきゃ続けられないと思う。
あとはセンスもあると思う。クラスで他の人たちを見ていて思う。やってる期間が長い人がうまいわけじゃない。初めてすぐの人でもセンスのある人は動きがきれいしリズムがある。そして数回後に見たらあれ、この人すごい上達してる・・なんて思う。
でも逆もまたあり。
でも、別にきれいな動きでセンスよくやらなきゃいけないわけじゃないんだ。本人が好きで動いていたらそれで結構!って世界だ。試合があるわけじゃないし、誰に勝たなきゃいけないわけじゃないし、それぞれの目的でそれぞれが上手にクラスを利用すればいいという話し。
しかし先生本当にかっこよすぎ。。。
締まった体でしなやかな動き。そしてどこから来るのかフシギなくらいあふれでるエネルギー。
見とれてしまう。(あ〜なりたいな〜・・・)って。
で、私はがんばって先生の動きを少しでも真似よう、真似ようと努力している。そこに対するエネルギーのかけようは自分でもすごいと思う。
高校時代の柔道の先生は私にとってカリスマ的存在。かっこよすぎ。今でも大好き。
でもまたこういうタイプの人に出会ったな〜って感じ。タイボーの先生は女性だけど、すごいエネルギーをもらうし、いつもポジティブな空気をかもしだしてる。
飽き性の私だからもうそろそろいつ飽きてもおかしくないんだけどね・・。今のところまだ楽しくってしょうがない。
体重はというと、続けて3ヶ月たつころから体重が目減りしていった。でもその頃はあまり人には痩せたね・・とはいわれなかった。このところ体重は安定している。で、痩せ続けてるわけじゃないのに、人から痩せた痩せた・・といわれる。
なんでだろう。。
始めた頃ギャグでこの日記で「腹筋割れたらお見せします・・」とか書いたけど、ほんとに腹筋われてきはじめたからおかしい。。。
でも見せません。。(笑)
これまでいろんなダイエットをちょいちょい試してきたが、やっぱ運動して筋肉つけて、しっかり食べて体重を落とすっていうのは理想的だと思う。気分的にやつれた感じがしないし、食べてるからエネルギーはあるし、何より食べ物を制限!!というストレスがないのが体にも心にもいい。
今日午前中2時間続けてやったら家でぶっ倒れてしまって2時間ほど激しい昼寝をしてしまった。
もうあかん・・・と思ったのに、また夕方も1時間クラスをとりに行ってた。
始めた頃はこんなにはまると思ってなかったんだけどな・・・。誰がびっくりって自分がこの状況に一番びっくりしている。
■ 2006/04/21 (Fri) 一時帰国
来週末からだんなとともに2週間ちょい日本へ帰国する。
二人揃ってグリーンカードもって帰るのはこれが始めて。前からグリーンカードがとれたら「レールパス」使おう!って言ってたが、やっとそれが実現しそう。
今回はそれを使って大阪から東京へ少し足を伸ばす予定。山口・九州まで行く時間があるかどうかは微妙なところ。
高校時代の私の大親友も、柔道部時代のキャプテンも今は東京人。大阪に帰るより懐かしい顔ぶれと会えるかも。。
ってことで、楽しみ楽しみ。
92歳のおばあちゃんからも電話があって「帰ってくるのずっと待ってまんねんで。首が随分なごなりましたわ(長くなりましたわ)」とのことだった。
6歳のおいっこも「まだかなー」「まだかなー」と帰りを待ってくれているらしい。
前の職場の人たちにも会いたいしなー。
どうやって予定を組めばいいんだろな〜。。。
おみやげも買い揃えはじめている。
ぬっくんを里子に出すことも決まったし。
こういう旅行前のワクワクの時期って忙しいんだけど、ほんとに楽しい。
■ 2006/04/29 (Sat) 義理父
前回の日記は先週の金曜日。そしてそれを書いたときこんな状況を想像もしてなかった。
先週の土曜の早朝に日本から電話があり、だんなのお父さんの状態がよくないことを知らされる。
ここまでお父さんには病気の兆候もなかったし、疲れてはいても健康だとこっちは思い込んでいたから突然の知らせに驚くやら信じられないやら。。
ちょうどバケーションがすぐ来るから帰ってお父さんの顔見れるね・・と思っていたが、日々状態が悪化していき、月曜の夜の段階では昏睡状態と知らされる。担当医より何が起きてもおかしくないので、帰国を早められたら・・・と話される。あわてて帰国の準備を月曜の夜中からはじめた。
フライトチケットもなんとか交換でき、仕事もFamily Emergencyには寛容で早く帰ってあげてと、快く休みをいただけた。
そしてアメリカの火曜にとび、日本には実は3日早めて水曜の夜に到着している。
お父さんの状態は会話ができない状態。決してよくないが、今のところ小康状態といったところ。末期の胃がんを宣告され、いろいろな状況が併発し、今後の治療を決めるという状態にまで至っていない。
いろいろ日本の医療現場を自分の目で見る機会。
家族が入院していると、見るポイントが患者側となり、しかし医療者側としての限界もなんだかわからなくもないし、知識があることが逆に今はジレンマとなっているような気がする。
今はお父さんよりもだんなのつらそうな顔を見ているのがつらい。
そんな状況で帰国したにもかかわらず小学一年生のおいっこは早く帰ってきてくれたと大喜び。ムシキングに野球にサッカーにと遊びを強要される日々でもあるのです。

