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momoさんのRNまでの道のり
May 14 2002
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私がRNになるまでには本当にいろいろなことがありました。失敗も沢山して時間も労力も随分費やしてやっとRNになりました。こんな私のおとぼけな経験が役立つかわかりませんが、これからRNを目指す方々の何かの参考になれば幸いです。

1. きっかけ

 1996年春、当時在職していた大学病院から派遣という形でGeorgia州AtlantaにあるEmory大学のWOCNEP(Wound Ostomy Continence Nursing Education Programの略)にInternational studentとして参加しました。当時まだ認定看護師が日本ではスタートしておらず、つたない英語でET/WOCN(Enterostomal Therapist / Wound Ostomy Continence Nurseの略)になろうとしたのです。我ながらかなり大胆だったというか怖いもの知らずだったというか・・・。そこでの実習中に見たり学んだりしたAmericaでのET/WOCNの仕事に感銘を受け、“日本に帰ったら習ったことを生かして頑張るぞ〜”と、卒業後意気揚々と日本に帰国しました。

2. こんなはずじゃーなかった

 帰国後、元の大学病院の元のPositionに戻った私はET/WOCNとして勉強したことを現場に還元しようとするのですが、なかなかこれがうまくいきません。病院側もはじめてのことでET/WOCNになった私をどう使っていいのかわからず、また日本ではWOCNとしてできることの範囲がAmericaと比べて狭く感じられ、“やりたいことができない”私のストレスはどんどんたまっていきました。

3. なんだか国際結婚

 そうこうしているうちにEmory大学に留学中に知り合ったboyfriend(現だんな)が日本に押しかけてきて、なんだかあれよあれよという間に結婚していました。おとぼけ炸裂ですね。こんなことでいいのかなー?と、思いつつ(知り合って1年にもなってなかったし、だんなの職業とかもよく知らなかった。)いつの間にか再び渡米することになっていました。

4. 2度目のAmerica

 大学病院退職後1998年6月から本格的にAtlantaでの生活がスタートしました。引越しや結婚式で忙しく、本格的に勉強しはじめたのは1999年からになります。まず、WOCNになるためにBSNをとらなくてはならず(前回はInternational Studentだったので大学を卒業していなくても受講させてもらえた)短大しか卒業していない私は大学に行くことにしました。もちろん英語が 出来ない 私はESLからのスタート です。Community Collegeといわれる2年制の大学 1999 春・夏のセメスターでESLをとり、TOEFLを受けて2000年の夏セメスターから4年制 大学へ入学しました。

5. 編入できない!

 編入を希望していたのに日本からの単位は全くといってもいいほど認めてもらえませんでした。移行できた単位はたった8単位。もちろん看護教科の単位も認めてもらえません。これでは丸々4年かかってBSNを取るようです。気が遠くなってしまいました。ところが、大学のNursingのアドバイザーが“RNの資格があればbridge programで編入が認められ、1-2年でBSNが取れる”というので単純な私は“よし、RNを取るぞ!”と、即決心したのです。

6. TSE (Test of Spoken English)

 Georgia州では当時TSEとTOEFLがNCLEXを受験するのに必要でした。TOEFLはすでに大学に行くためにとってあったので良かったのですが、TSEが曲者でした。これはspeakingのテストで60点満点で5点刻で採点されます。NCLEX受験に50点必要だったのですが、独学で2回受験したものの2回とも45点。TOEFLと比べてあまりポピュラーでないため、学校も見つかりません。一体いつになったら50点とれるのかな〜と思いつつ、このTSEに随分時間とお金を費やしました。ところが、他の州ではNCLEX受験にTSEが要らない州があるという情報を得て、“よし、他の州でNCLEXを受けてGeorgia州に免許を移そう!”と遅まきながら決心しました。

7. キャー難しい

 普通の英語もままならず、NCLEXの問題集を買って広げてみたものの、質問の意味がわかりません。これはもう少し英語の勉強をしてからの方がよさそうだと思い、2000年夏・秋、2001年春・夏のセメスターで無駄のないように大学でBSN取得に必要な一般教養科目をとりました。何とか普通の英語が読めるようになってきたので、もう1度NCLEXの問題集を広げてみました。ところが今度は、医学用語がちんぷんかんぷん・・・。そこでCaliforniaに受験申し込みをしつつ、2001年秋セメスターで医学英語に慣れようと、Health Assessmentと薬学のNursing2クラスを取りました。

8 早すぎ

 Californiaに受験申請をした後、許可が下りるのに時間がかかると聞いていた私は大学でNursingの2クラスをとりつつ、のんきに構えていました。しかし、申請後1ヶ月もしないうちに受験の許可が下りてしまいます。2001年7月末のことです。まだ何もNCLEXの勉強にとりかかっていなかった私は、“あと1年で合格しなくちゃならない!”と、かなり焦りました。

9. 自分のペースで

 とりあえず焦っても仕方がないのでNursingの2教科を終わらせてから2002年の春のセメスターは大学のクラスをとらず、KAPLANというところで2002年1月からNCLEXの対策コースを取りました。そこでは3ヶ月間videoを見たり、問題を解いたりしてほぼ毎日勉強しました。2002年7月末で受験資格が期限切れになってしまう私は、最低でも2回受験できるように4月の中旬に初めの1回、7月末に滑り止めの最後の1回と考えて2002年4月18日にNCLEXを受けることにしました。4月の受験の時点で約3500問位しか問題を解いておらず、1回目は自分がどのくらい合格から程遠いのかを知っておいた方がいいと思ってダメ元で受験しました。

10. 75問

 NCLEXは問題数75-265問で、でる問題数も問題もかかる時間も人それぞれです。念のため5時間かかってもいいように当日はお弁当や飲み物とかいろいろ準備してテストセンターへ行きました。いざ問題に取り掛かると、キンチョーしていて何だかわからないうちに75問となりました。1時間45分くらいテスト開始から時間が経っていました。“問題続いてください”と、得意の神頼みをしつつ、これかなーと思った選択肢をクリック。“あっ・・・”なんとあっけなく終わってしまいました。その日は落ちたと思ってすごーーーーーーーーーーーーく落ち込みました。最低問題数で合格するはずはないと思ったし、自分でもやった問題数も勉強時間も足りないと自覚していましたし。しかしながら、落ちるにしても落ちかたってものがあるよなー。75問で落ちるなんてこの先一体どうやって勉強すればいいのかなーともんもんとその後数日を過ごします。

11. 合格!?

 コンピュータで結果を見られると聞いた私は早速受験3日後の4/21から自分の名前を検索しました。合格者は早く名前が出る(受験後4日位)と聞いていたので、4/23になっても自分の名前がでなかったときは“あー、やっぱり駄目だったんだー”と、ほとんどあきらめていました。ところが4/24に自分の名前を発見!!!木曜日に受験した私は結果がでるのに週末をはさんで1週間近くかかってしまったようです。とにかく合格したんだー、と思ったら今までの苦労とかが思い出されて何だか泣けてきました。いろいろ協力してくれた旦那さまとその日はお寿司で御祝いしました。

12. まだまだ先は長い

 喜んだのもつかの間、California州でRNになったのでGeorgia州に免許を移さなくてはなりません。更にBSNになるための大学の方もまだ終わっていませんし、ET/WOCNのコースも卒業後約6年経っているので受講し直しかも知れません。NCLEXに受かってRNになってもまだまだ問題が山積みなのです。とりあえず今は(2002年5月現在)Georgia州に免許を移す手続きを済ませて、今週はEmory大学のET/WOCN programの責任者と面談して今後の方針を話し合う予定です。・・というわけで、まだまだ私のおとぼけな毎日は続きそうです。