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Nov 1, 2004
どんな勉強をしたらいいのか・・・。
スピーキングの試験なんて、過去受けたことがなかった。過去中学・高校では読む力・書く力が授業のメインフォーカスだった。
TOEFLにおいて文法力を伸ばす、ライティング力を伸ばすのはある程度それなりのテストの傾向を知った上で、問題集の繰り返しでなんとか対応できると思った。
が、語学習得において大事な聞く力・話す力は思ったようなスピードではなかなか伸びない。これはいわゆる「勉強ができる」というのだけではなく、その人の「センス」「勘」に大きく関係すると思う。
アメリカに住んでいるといやでも英語は耳に入ってくる。とはいえ、ただぼーっとテレビをつけていてもそれはテスト勉強に即つながるような力にはならない。そしてやはりある程度ボキャブラリーを知らないと意味がわからない。
Mamaは薬のこと、医療のことなど自分の得意とする分野に関するニュースは割と聞けていると思う。が、法律のこと、政治のことなどファミリアじゃない単語が多発する内容のニュースにはいまだついていけなくなることは多々ある。
ひとつ思うのは、語学力の伸びはアメリカ滞在期間の長さに比例するものではないということ。
アメリカに居てどんな風に時間を過ごしているのか・・・に大きく左右されることだと思う。周りが自分にとって外国人ばかりで毎日毎日大変な思いをして英語を駆使して使っている・・という環境で過ごすアメリカ生活と、日本の友達がたくさんいて日本のものがいっぱいあってカルチャーショックもあまり受けず日本もアメリカもどちらの文化も楽しみながら楽しく過ごすアメリカ生活では全く違う。
語学力を伸ばすためには絶対前者のほうがいい環境に違いはない。そう、この楽しいLAは完全に後者。ここではアメリカにいながら「無理に英語環境に身を投じる」という意識をしないとどこまでも日本語環境でやっていけてしまう。特にだんな・彼氏が同じ日本人ならなおさら・・・。
そんな環境でスピーキングの勉強をするのは大変だった。
(←なんだここまでの前置きはこの言い訳のためだったのか・・・)
そんなMamaのストラグルした過程を少し書いてみたいと思います。
2002年夏 NCLEXに受かる。この時点では筆記タイプの試験対策ばかりがんばってたため、話すということを意識して勉強したことはなかった。
2002年秋 労働許可を待ってる間に・・・と、カレッジでひとつ、Universityでひとつナーシング関連の授業をとってみる。授業を聞いて書き取るのが必死。とても発言するという域まで達しなかった。とりあえず発言しなくちゃならない授業でもなかったので、おとなしーくひっそりと過ごした。
2002年冬 MELABという今はもうなきビザスクリーンのための試験を受けてみる。ためし受験ということでなんの準備もせず受けた。点数は当然満たず。が、テストの印象としてはもしかして今後受けることになる「TSE」「IELTS」よりも簡単だったような印象が残る。この12月を期にこのテストはビザスクリーンに有効な試験ではなくなった。最初で最後の受験となった。
2003年2月 TOEFLが総合点数がクリアしているのに、ライティングが3.5だったため再度受験した。この2月の試験でとりあえず総合点数、そしてライティングがスコアを満たした。
2003年3月 TOEFLは完了。あとはTSEだけだ!と、この3月からTSEとのこの先なが〜〜く続く闘いに入った。初TSE受験のあと、笑いが止まらなかった。「なんなの?この試験・・・わけわからんすぎる・・・」というのがわたしのこの試験の第一印象。
2003年4月−6月 手ごわい試験とは思いながらそのうち数回受けたらなんとかなるんじゃないかと甘くみていたのもこの頃。
2003年7月 このころは今と法律が違い、ビザスクリーンの点数が満たされていなくても労働許可は下りていた。ただグリーンカードがペンディングされるというだけで・・・。そしてビザスクリーンもいつまでに受からなければいけないという決まりもなく、「受かるまで無制限に受けられる」というのがこの頃の認識だった。
労働許可が下りた。英語環境で働きだすことだし、英語を毎日使うようになるからそのうち自然と伸びて近いうちに受かるだろう・・とまだまだ甘くみていたこの頃・・・。
あと、友達からIELTSのほうが受かりやすいかもよ・・という情報が入ってきたのもこの頃。しかしIELTSを受けるとなるとリスニング・リーディング・ライティング・スピーキングとすべて同時にパスする必要があり、せっかく受かったTOEFLの意味がなくなる。どうしようかと迷う。
2003年9月 そうはいっても早く受かってしまいたいし、チャンスのあるものには手を出していこうとIELTSを初受験。とりあえず試験までに問題集は買ってみたが、それほど気合いれて勉強はしていなかった。
2003年10月−12月 IELTSの結果から、あと一歩でこれはいけるんじゃないか・・と、勉強の中心をこの頃からIELTSに切り替える。11月にはサンディエゴまでIELTSスピーキングのプライベートレッスンを受けに行く。絶対次の12月の試験で合格して、今年中にはこの試験から解放されたいという気持ちが強くなる。仕事の後もスタバに行ったり、まじめに試験に取り組むようになる。
2004年1月−2月 12月のIELTSの試験もあと一歩のところで足ふみ。3ヶ月に一度しか受けられないIELTS、次は3月。3月のIELTSに向け、次こそは・・と気合をいれる。プライベートレッスンにも行く。自分の弱点などがわかり、値段は高いがプライベートレッスンは有効だなーと思う。
2004年3月 気合入れて受けるもまただめ・・・。どうしたものか・・・。どうしてこう伸びないのか・・・。かなりこのIELTS3度目の失敗に落ち込む。
2004年4月 IELTSだけに頼らず、やはりTSEも可能性としてかけたほうがいいのか・・。視野を広げてみよう・・とあらためてTSEのことを考え始める。TSE会場で配られていたTSEのクラス・テキストにも手を出す。
2004年5月 TSEの怪しいおやじの授業を受けに行く。授業というよりもセミナーという感じ。有効なものだったか?いや・・・いまいち効果のほどがわかんなかったというのが本音。が、このおやじのテキストはこれまでのわたしのTSEの答え方にかなり大きな変更を与えるものだった。9問ある問題のうちいくつかはかなり「暗記」的発想で対応できることがわかった。そういう意味で、おやじのテキストはわたしにとっていい出会いだったのかもしれない・・・と振り返って思う。
2004年6月 TSEも受けながら4度目のIELTSも受験。次こそは、次こそは・・・と思う。しかも7月の末に法律が変わる可能性があるとあり、これがもしかして最後の受験かも・・・、これがだめだったら泣く泣く帰国か??という激しいプレシャーに襲われる。
2004年7月 移民局の法律変更情報があちこちで出回る。が、変更内容がいまいち明らかでないまま。情報が一定しなかった時期。この時期までにビザスクリーンがパスしていなければ労働許可をも奪われるかもしれないなど、とにかく誤情報を含め情報に混乱する。6月に受けたIELTS・TSEの結果を待つ間、表現できない不安にかられる。そして結果はどちらもFAIL。病院でももしかしたら辞めることになるかもしれないと近しい人たちに話し、泣いたりする日々もあった。
2004年8月 自分にはまだ受験のチャンスはあるのか?弁護士さんと相談し、とりあえず移民局がグリーンカードの次のステップに入り何か知らせてくる前までは受験チャンスはあるだろうということで、前向きに今後もチャンスのある限り受験していこうと考える。その一方、TSE会場で知り合った韓国人の知り合いから、この英語の試験に合格しなかったという理由でグリーンカードがDENYされたという連絡が入る。自分の状況が彼女の状況とオーバーラップし、なんともいえない不安な気持ちが続く。日本に戻ることも視野にいれたほうがいいか・・。このプレッシャーとどうして向き合ったらいいのか・・。自分がDENYされたらだんなももろともアメリカ滞在ステイタスを失うことになる。。。がんばろうという思いがプレッシャーにつぶされそうになりながらの日々。
2004年9月 いろんな人との話しで、日本に帰ることになってもそれはそれで意味があると前向きに思えるようになってきたりする。帰ることになったらそれはそれで自分の運命、受け止めよう、きっと受け止められると考え始める。そう、この頃は日本に帰国しなければいけなくなる可能性にプレッシャーを感じるというよりは、この先の自分の状況が全く見えないことがストレスの中心だった。この頃のフォーカスは10/16に受験するIELTS。またもやプライベートレッスンにも行っていた。TSE用の勉強は特にしていなかったが、とりあえずチャンスのある限りは受けようと思い、運命の結果を出したTSEも9/17に受験していた。
2004年10月 ストレス・プレッシャーと闘いながらのIELTS受験。試験会場になじんでも、試験にはなじまないものだとつくづく思う。手ごたえはそう悪くはないかな・・という感じだった。が、でた結果、またもやパスレンジに届かず。が、一方で期待していなかった9月分のTSEの結果がついにパスレンジに達していた。うれしいよりも驚きでいっぱいになる。
こうしてようやくながーーーーーくかかったビザスクリーンの英語の勉強から解放される日がやってきたのでした。
ちなみに点数の経過は以下です。
決してできる人の点数ではありません。もっと要領よくとれる人もたくさんいるかと思いますが、できない・・もうだめだ・・と思っている人に「こんなに受けた人がいるんだ・・」「もうちょっとがんばってみよう・・」という励みになればな・・と思い、恥ずかしい点数を思い切って公開してみます。
TSE 点数の経過
(必要点数50点・・・60点満点で5点刻みに採点される)
1) 2003年3月 40点
2) 2003年5月 40点
3) 2003年7月 35点
4) 2003年11月 45点
5) 2003年12月 40点
6) 2004年2月 40点
7) 2004年4月 45点
8) 2004年6月 45点
9) 2004年7月 40点
10) 2004年8月 45点
11) 2004年9月 50点
IELTS 点数の経過
(必要点数 Overall Band Score(Listening・Reading・Writingの平均)6.0 と
Speaking 7)
2003年9月 Listening 6.0 Reading 6.0 Writing 6 Overall Band Score 6.0
Speaking 5
2003年12月 Listening 6.0 Reading 7.0 Writing 7 Overall Band Score 6.5
Speaking 6
2004年3月 Listening 6.5 Reading 6.5 Writing 5 Overall Band Score 6.0
Speaking 6
2004年6月 Listening 6.5 Reading 6.5 Writing 7 Overall Band Score 6.5
Speaking 6
2004年10月 Listening 6.5 Reading 6.0 Writing 6 Overall Band Score 6.0
Speaking 6

